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キリスト教の三位一体は、
別位格とすると三神一体となり、神道の三柱合祀に通じます。

神道の三神一体は、
天地創造の神様への信仰の仕方としては
間違いではないです。

仮の、神霊が宿るための御神体はありますが、
仏教のような画像とか立像を作って
拝んではいないからです。

神道の御神体は、あくまで仮の宿りなので
御神体は神様そのものではないと理解した上で
人の手でなされていない大いなる御存在に対して
畏怖の思いを持って礼拝しています。

キリスト教の三位一体の三神は
一体でもあるけれど、同時に
三神の状態での存在もしている。

天上から、雷のように、
これは私の子、これに聴け。との天からの父様の御声、
鳩のように下った御聖霊、
地上においでのイエス様、の三者。

神道の三神一体は、
クリスチャンに分かりやすく言うと、
この天地創造の神様とイエス様と
聖霊を別々に分けて祀って礼拝しているような感じです。

でも合祀なので、三柱の神様を祀ってあっても、
それはお一人の神様でもあるのね。
みいつの神様と同じ感覚的思考なわけです。

神道のもとは北イスラエルの
唯一神信仰と
秦氏とネストリウス派クリスチャンの
イエス様への信仰が融合したものです。

もともと土着の日本人と結婚して
日本に帰化していた北イスラエルの民は、
後から来たネストリウス派クリスチャンや秦氏が、
自分たちと同じ同郷の者、
イスラエルの民であることを理解して、。

後から来た優れた文化と技術を持っていた
秦氏やネストリウス派クリスチャンに
日本神話でいうところの国譲りをしたのです。

日本神話『古事記』のタケミカズチと
タケミナカタの力くらべが
相撲の由来だと言われていますが、国の支配権をかけて、
代表者同士が相撲のような力比べで戦ったのでしょう、。
イスラエルと同じやり方で、、。

サムエル記 下
2:14 アブネルはヨアブに申し入れた。「若者を立てて、我々の前で勝負させてはどうか。」「よかろう」とヨアブは言った。

イスラエルの時は剣で殺し合ったけど、
イエス様は剣で殺し合うのは
ペトロを止めてお止めになったから、
日本では相撲みたいな力比べで勝敗を決めたのかもしれない。

部下か自分の子が力比べで負けたとは言え、
自分たちが生み出した出雲の神、
国津神を天津神と同等に扱うことを条件に譲った、。

だから神社は、一柱ではなく三柱合祀が多い。
五や七柱の場合もあるけれど。それは珍しい。

こうして日本に来た
秦氏とネストリウス派クリスチャンが、
イエス様のことを、、
天照大神とかイナリという名前でだけど祀って、
日本の守り神として民間に浸透させてた。

秦氏は応神天皇の283年頃渡来とされてます。
大避神社(おおさけ)この「避」という字は昔は門構えの中にあり、本来は大闢神社。
『闢』という字は「びゃく」と発音し
大闢(だいびゃく)これは中国語でダビデ王のこと。

秦氏はイエス様と同じユダ族だったのかもね。
日本には神殿(神社)があってイスラエルの神殿、幕屋としての機能を保持していたから、、
霊験あらたかな神威ある大いなる神としてイエス様を奉じた、。

幕屋の中の構造は聖所、至聖所、拝殿、洗盤。
神社は、奥殿、本殿、拝殿、手水場。
伊勢神宮は、20年おきに式年遷宮してるよね。
それってすごいお金の無駄でしょー。

全然建物は痛んでないのに、
莫大な費用をかけてわざわざ建て直しする。

幕屋は移動式神殿で、聖書の規定では
20年が祭司の努める期間では最長だからというのと

サムエル記 上
7:2 主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた。

20年の安置期間があった。
この時代はイスラエル人は信仰深くて
神様を慕い求めてた。
その時代の事も再現したいと思ったのかも。
他にヤコブが21年目に、おじラパンのところから
立ち去ったから、21年目に建て直しとか。

神社で決められてる数字は、
すべて聖書に関係していることは間違いない。

それに霊験あらたかじゃなきゃ
そんな壊れてもいないのに
建物の建て直しなんて国をあげてやらない。

寂れて自然崩壊してさようならーになる。
伊勢神宮は太陽神、世の光としてのイエス様の神社。
景教、ネストリウス派クリスチャンが建てた。

ちなみにインドではイエス様のことをイッサと呼んでた。
イサ、イセ、伊勢、似てるよねー。

マタイ

15:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。


失われた羊が何族か、、とは書かれてないけれど、、
イスラエルの家の、、失われた羊って、
普通はエフライム10氏族のことをさすのよね、。
少なくても、血筋はイスラエル人でないといけない、。
でもユダは、、失われた10氏族には入ってないのよ、。

ヨハネ
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊も
いる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

ここの羊も、イスラエル人の他の囲いに居る羊のこと、。
ほかの羊もいる、。で、その時点でこの地上世界に居る存在なわけだから、、。

その時点ではキリスト教は確立してないし、教会もまだ無い。

北イスラエル失われた10氏族は、
シルクロード通って来たから、、日本に来る途中でも、
彼らは土着の民と婚姻する者もいくらかはいて、
自分たちの技術や知恵、信仰の置きみやげはしてきてる筈ね。

科学的な証拠として、東アジアでは、日本人だけではなく、
チベット人も、イスラエル10氏族の血が流れてると
遺伝子鑑定でYAP+遺伝子と言う遺伝子を持っている、
ユダヤ人と同じ祖先が居たと、認められて居るのよ、。

イエス様の時代には、一部とは言え、北イスラエルは、、
日本に帰化して住み着いてたのでしょうね、。
何度も北イスラエルの仲間が次々と分散していたものが
日本に渡来はしてるのだろうけど、。

稲荷神社は、十字架にかけられたイエス様を
メシアとして信仰する秦氏が建てた。
秦氏がユダ族なら当然です。
自分たちの血筋から神の子が生まれたとなればねぇ。
同族であれば、家族同様な感覚でいたわけだし。
信仰深くもなる。

第2のイスラエルである日本を、、
イエス様は約束通りに守って下さってる、、。

聖書中の、、他の囲いの羊、、は日本人と、
広義的には土着の民だったものが、
寄留の民、北イスラエルを受け入れて、
彼らと婚姻により北イスラエルの文化、教え、を受け入れ
北イスラエルと同化していったたち、、。

日本がすでに神様のものでなかったら
終戦の時、天皇家は滅ぼされて当然。
世界で敗戦国の将がたどる道は死か亡命。

ところが天皇家も滅びず、
世界最高位のエンペラー。
日本経済もウルトラCレベルで返り咲いて
今や押しも押されぬ経済大国。
神様の守護がなければ絶対あり得ない。

日本は見た目は敗戦国とされたけど、
結果的には国体としてはダメージゼロ。

沢山の英霊の犠牲は出たけど、
彼らは自分の国を守るために戦った。
誇り高い日本民族、大和の民、神の民として
武士道精神で正しいと思うことを貫き通した。

日本人は武士階級ではなくても、
学校で軍隊教育をしたから
武士道精神は民間人にもあった。
それに日本人てね、頭良いのよね。

良い物をさらに良いものに改良してしまう天才。
だからユダヤ人と同じで戦略にも長けてた。
イスラエルも戦上手、頭脳明晰なのよ。

生後30日目(場所によっては男児31日目、
女児32日目)に赤ちゃんを
神社(神殿)に初詣でをさせる慣習や、
13歳で元服(成人) という儀式があるのも
世界的に見ても日本とイスラエルだけ。

御神輿もイスラエルの契約の箱と同じような作り。
金箔が貼られた契約の箱の上部には
2つのケルビムの金色の像が羽を広げて向かいあっている。

日本の神輿も金で覆われていて、
神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる霊鳥が作られている。

契約の箱の下部には2本の棒が貫通しており、
移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、
鐘や太鼓をならしてはやし立てた。

このかつぐための2本の棒は絶対に、
契約の箱から抜いてはならなかったように、
神輿の棒も抜かれることはない。
祭りが終わった後も棒を差し込んだまま保管庫で保管されている。

獅子はユダ族の紋章であり、
一角獣は北イスラエル王国の王族であるヨセフ族の紋章。
京都御所の清涼殿にある天皇の座の前には、
獅子と一角獣の像があったとか、、。
ヨセフ族は失われた10氏族の一つ。

日本は、すでに神様とイエス様の国、、、
宗教と意識せずに神社も、お寺も、教会にも、
普通に自由に行けばいいのでは?

日本人にとっては、、
八百万(ヤーよろずで、万軍の主ヤー(ヤハウェ))の神々は
全部が一柱的感覚で、どの神様も日本を守る神なのよね。
全部が良いわけで、これがダメってのがない。

鬼神、悪神でさえ神として祀って、
悪さをしないようにとなだめて手駒にすり替える。
最恐の敵は味方にできれば最強の味方にもなる。
あれこれ拒否らない和の心が一番最強なわけだ、、。

この和の教えは、どう考えても
敵を見たら殺していいと教えていた時代に、
隣人愛を教え実践されたイエス様が出処でしょ?
他に、人間の手本になるだけ、のことした人いないもの、。

みんな自分さえ良ければ、で、バレないように、、
隠れて騙して、殺して奪って、の暗黒時代、。

今みたいに、指紋鑑定もないし、DNA鑑定もないし、
強盗して、埋めたり隠したりして証拠隠滅したら、
完全犯罪が成立してた時代だからね、。

イエス様以降だよ、、やっと、人道的なことに目覚めて、
人同士大切にしあわないと、、となって
精神性が高くなってきたのは、。
イエス様に繋がる人が増えたから、だね、。

ただね、、誤解がないように言っとくけど、
日本の神道だけあれば良くて、、キリスト教が要らない
というわけじゃないのよ、。

両方揃って、最強のイスラエルになるのよ、。
だって、原罪の赦しだけは、、イエス様の御名によって、
洗礼を受け聖餐を受けないと与えられないのだから、。

神道では、原罪に関しての概念はなくて、
罪は祓い清めるもの、洗い流して、禊(みそぎ)をして清める、、、
イスラエルと同じ思考だから、、。

それだと、全部が清めたとみなされてるわけではないのね。
祓った時点の自分がやらかしたことに関してだけ、
原罪は赦されてないまま、。

原罪の清めだけは、、
無垢なイエス様の身体である聖餐を、、
一度で良いので、受ける必要がある、。
一度受けたら、、その救いの効力は、永遠、。
永遠に原罪とはおさらば出来ます。

もしくは、クリスチャンから生まれてくるか、。
でも生まれ方なんて生まれてからとか
生まれる前に選べないでしょ〜〜〜。

原罪と言うのは、人の心の奥底に潜む醜い部分、
いつもは綺麗事に隠れて表には出てこない、。

ごくたまに、人への悪意むき出しの人が居るけどね、。
そういう人は、罪を重ねて
魂の周りが罪で覆われて真っ黒なんだろうね、。

良い生き方、正しい生き方を努力してたら、
魂は清くなって、輝くようになるし高次の存在、、、
御使いとかと心がつながりやすくなるし、
目に見えなくても助けて貰えるようになるし運も良くなる。

無駄な努力ってのはないのよ、。
神社は、イスラエルの幕屋だから、残し続ける方がいい、。
キリスト教会は、お金儲けの堕落の方向には行かないように自戒すべき。

そうでないと分裂の後、イエス様十字架にかけて
神様に背いて决定打が出てイスラエルが滅びたみたいに
キリスト教会が、滅びるよ、。

役目が終わったものとして、、切られる、。
だから常に悔い改めて、行いを顧みないと、いけないです。

来るべき方に、裸で居るのを見られて、
なんと言い訳するのでしょうか、。

父さま、、
あなたは今もこれからも
生きておられます、。


マリア

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神道と古代イスラエル  7

織田信長、、
天正3年5月21日(1575年6月29日)、、
火縄銃三段構えの戦略で、、織田・徳川連合軍が圧勝したことで
有名な長篠の戦いの時のことを描いた屏風絵、。

「長篠合戦図屏風」の拡大図、。
イメージ 1

そこに、、背中に六芒星(籠目紋)の描かれた白装束をまとって、
馬に乗っている大将、、信長の真横にいるのは、、、
忌部(いんべ、いべ)氏(うじ)と呼ばれる人たち、。

忌部とは、穢れを忌むという意味で、、、、
彼らは、元伊勢の神宮の神官だった、。

天皇家の大嘗祭の時、天皇は麻で出来た衣を着るのだけど、、
それをつくるのは忌部の家系の人による、。
彼らは、、ユダヤで言うと、、レビ族だということ、、。

伊勢である丹波の籠神社の裏社紋は、、
ユダヤの民族を意味するダビデの星と同じ籠目紋、。
神社の建物のことを、やしろというけど、、
ヨシュア記
18:1 イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。この地方は彼らに征服されていたが、

古代イスラエルでは、
幕屋(イスラエル神殿が建てられる前の至聖所)は
シロという場所にあったわけで、、。

YA、、は万軍の主ヤハウェ、、天の父さまを指す言葉だから、、
ヤーシロ、が縮まって、ヤシロ、、で、
日本式、臨在の幕屋(神様を祀る場所)を指す言葉が、
ヤシロだったのかなーーと、。

城も、シロから来てたりしてねー。

伊勢の神宮、、昔の幕屋の至聖所にあたる
正殿にあがるための階段は、、12段あって、
イスラエルの民族の数と同じだし、。

伊勢の宮は、今のところに落ち着き鎮座するまでは、
イスラエルの幕屋と同じように、、
近畿地方の20数カ所?を移動して建物の解体、移設をしてて、、
ほんとうに イスラエルの幕屋状態だったわけで、、。

鎮座した今でさえ、、
式年遷宮をして、
20年毎にヤシロの建て替えを守っている。
前も書いたけど、、20年経って21年めに建て替えている。

民数記
4:3 それは臨在の幕屋で作業に従事することのできる三十歳以上五十歳以下の者である。

祭司は大祭司以外の人は、最長で、20年間、。
21年めには最長の祭司が代替わりをする。
そして、後継者を育てることに、専念するのだろうけど、。
現代では、どうなのかな、。

一般の職種とは違うので、、
奉仕できる年齡の規定は厳守されたままかもしれない、。

キリスト教会だと、、神父は、基本的に終身、。
牧師は、単立であれば終身も可だけど、
子供に譲ってとか、他の牧者に譲って、、で、、
引退する牧師も多いね、。

今、ネットで書いてあったけど、、
最近、淡路島で古代ヘブライ語が記された指輪と
丸石が発見されたようだから、、うふふ♪やっぱり
古代イスラエルと日本人の祖先は深い繋がりがあったのではないか、、
と、思ってしまいます、、。

信長は、お寺を焼き討ちしたりしてたけど、、
それは当時の坊主が堕落してたからじゃないかな、。

彼は伊勢の式年遷宮を、莫大な費用を援助して
120年ぶりに復活させたのだとか、。
自らの先祖が、、伊勢の神官の血筋だったから、、
それを侍の身分になってからも忘れて無かった?ってことなのかな、。

信長の直ぐ横にいるわけだから、
彼らが側近であることは間違いないわけで、。

火縄銃とか火薬を持ってきた人足という解説もあるようだけど、、
いくら信長が、身分隔てなく付き合った人物だからといっても、、、

戦争の時に、武士でもない人足までわざわざ連れて行かないでしょ、。
戦争時に必要なのは兵法に長けた戦略家なんだから、。
自分と親戚関係があったか戦略に長けていたか、どちらかでないと、
自分とは関わりない平民を戦争には連れて行かないでしょう。

信長は、安土城を造った時に、天守閣とは言わず、
天主閣と呼んだそうな、。

当時のカトリック、キリスト教の布教も許可したし。
聖書の意味を宣教師や誰かから教えられていたか、少しは読んでた??

織田信長は家紋を7つ、持っていたらしい、。
①「五つ木瓜(織田木瓜)」
②「揚羽蝶」
③「永楽通宝銭」
④「五三桐」
⑤「丸に二引両」
⑥「十六葉菊」
⑦「無文字」
なんで7つも家紋あるの???多くねーー??
聖書の完全数の7にこだわりあったとか??

ダニエル書
9:25 これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての/御言葉が出されてから/油注がれた君の到来まで/七週あり、また、六十二週(69週)あって/危機のうちに広場と堀は再建される。
9:26 その六十二週のあと油注がれた者は/不当に断たれ/都と聖所は/次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり/終わりまで戦いが続き/荒廃は避けられない。
9:27 彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」


1948年5月14日 これは、、イスラエル建国日時、。
「指導者であるメシア」までの期間は、7足す62「週」、つまり69「週」
1週を1年として見たなら、、69年、
69年後は、、2017年5月14日、、もう過ぎてるね、、。

ユダヤ暦は一ヶ月あたり、30日、。
ユダヤでは、夕方から夕方までが1日。
半分半分の日付になる、。
週7表示の7週のカレンダー。

ユダヤでの       月  火  水  木  金  土(休) 
       日月  月火   火水 水木 木金 金土 土日  
現代で言うと           火  水  木  金    土    日(休)
 
ユダヤの休みの土曜日は、金曜日の夕方から、土曜日の夕方まで、
土曜日の夕方から日曜日で、他の国で言う月曜日になってユダヤ人は仕事、。

だから、ユダヤでは、金曜の夕方から土曜日の夕方まで、
全部〜〜〜仕事という仕事は休むから、
自分は外国人だと言ってもどこも通らない、。
どこにも出かけれない。動けない、。ってことで、結構、物騒、、。

第一日目:ヨム・リション(日曜日)
第二日目:ヨム・シェニ(月曜日)
第三日目:ヨム・シルシィ(火曜日)
第四日目:ヨム・レヴィイ(水曜日)
第五日目:ヨム・ハミシィ(木曜日)
第六日目:ヨム・シシィ(金曜日)
第七日目:ヨム・シャバット(土曜日)-安息日

ここは黙示録に出てくる7年の患難時代を指す聖句でもあり、、
ダニエル書の「70週の預言」と呼ばれる聖句箇所、。
70週は、本来は7年の70倍として読むそうな、。

ネヘミア書2:1〜8に書かれている再建命令が、、
歴史的に見るとBC445年3月、、69週は483年になりますが、。

ユダヤ暦が一ヶ月30日、1年360日であったことをかんがみて、、
再建命令が出たBC445年3月から、1年360日として
483年後を計算してみると、AD32年の4月前後になり、、
イエスさまが33歳で十字架につけられた時期に当たります、。

昔は数えでだから、現代の満年齢では32歳ということになるので、。
半週は、3日のことなので、、
イエス様の三日目の蘇りを示唆してるし、、

二度、、62週のことが書かれているので、、二度目が、、
イエス様以後の再臨主のことを示唆しているならば、、

一週7日、62週では434年だけど、、、、
43日と読むなら、、30日計算で、
5月14日から43日目は6月27日、、、。

1週半分で10日足すと、、7月7日、、となって
復活日は7月7日だったのかな?過ぎてるけど。

色々な読み方が出来るから、聖句は実に面白い、。
謎めいてるし、、。

ちょっと今、時間無いので、、、
あとから何か見つけたら、、追記、加筆します、。

マグダラのマリア

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失われた氏族である北イスラエル(エフライム)の一部が、、
最初、日本に来た時は、土着の日本人(縄文人)も少なく、、、
穏やかな国であったので、友好的に一つとなり、
いわゆる神降ろしを中心とした、シャーマニズム国家を築き、
天皇制の元や神社などを作って、。

自由な新天地だから、
日本を天国(ヘブン)とか、楽園と呼んだのだとか、。

神社にいる巫女さんは、、
その古いシャーマン(巫)時代の名残り、。

北イスラエルと同じユダヤ民族である秦氏(弥生人とも呼ばれる)が渡来してからは、
祭司である宮司が、主に祭儀を行うようになり、
次第に、巫女は、祭儀の補助的役割及び、神舞を奉納するなどで、
現代のように霊能力がない人であることが多くなった、。

古代では、神降ろしの能力のある巫女と、
祭司が審神者となり、二者が一体となって祭儀を執り行っていた、。
これに礼拝するべき神様ご自身を含めると、三者一体となる、。

古代イスラエルでは、、
祭司自らが、霊力を所持し巫(霊能者)であることが多かったので、
自分自身が巫女のようにトランス状態になることなく、
神様と意思疎通して、
自分自身が審神者(降りてきた霊が神仏かそうでないか判定する人)ともなり、
古代イスラエルでは、祭司一人で、、
宮司と巫女の二役分を、、一人でこなしていたと言える。

あとから来た秦氏の方が武器や織物工芸など、
高い文化を維持していたので、
最初に渡来し日本人(縄文人)と混血し共生していた北イスラエルは、
支配権を譲ってそれが嫌だった一部のアイヌと琉球民族となった者たちは、
大和から離れたところへ移動して行ったみたいです。

琉球民族も、アイヌも、
物部氏の血筋を引く卑弥呼などと同じく、
神降ろしをしてるシャーマンの家系の人が現代にもいます。
召命型ではなく、、世襲型が多い、。

沖縄、奄美のユタ(巫女)、カミンチュ(神の人、巫女の男版?)、
ノロ(祝女と書く、女祭司?)、。
沖縄では聞得大君(きこえおおぎみ)と呼ばれた女性シャーマンが、
琉球国国王と王国全土を霊的に守護するものとされていた。

聞得大君は、、琉球王の姉妹または王女の中から任命された。
国王と並ぶ地位で、国家的神事を主宰し、神官行政の最高権威者。
神道でいうところの斎王(いつきのみこ)の様な存在、。

アイヌではシャーマンのことを、トゥスクルと呼ぶ。
ちなみに、アイヌでは、神様や精霊は煙になったものを食べる?
という考えなので、アイヌの神事では捧げ物は燃やすそうです。
焼くことは、、古代イスラエルと同じ、。

神道でも、古い御札は、捨てるのではなくて、
感謝して神社へ戻し、焼いて焚き上げして、
仮の依代(よりしろ)である御札などに宿っていた神霊の分け魂を、
天の神様の元へと戻します、。

神道の根幹は祭祀と儀式、その頂点は大祭司たる天皇、、。
で、その天皇を裏で支えているのは元北イスラエルの物部氏始め、
出雲族、国津神と言われた祭司氏族、、。

表向きは、天皇の家臣、でも実際は、祭祀氏族の長、
土蜘蛛の御門とか八咫烏(やたがらす)と呼ばれる裏存在と天皇とは同列扱い、。
もともとは同じイスラエルの12氏族だから、。

八咫烏というのは、
上位3人大烏(3人で金鵄きんし) 中核12人 配下70人の裏組織。
それぞれシャーマンのような特殊能力を多少なりと持ち、
戸籍、名前も無いといわれている、。

3人の大烏が八咫烏の最高幹部で、
天皇と同列の裏天皇と言われてるらしい、。

まぁ彼らは、忍者みたいな存在なのかな??
日本を影で支えてくれていて、有事が起これば、動くらしいけど、。
イメージ 3

堂々と、八咫烏の↑シンボルマークが、、
熊野にあるのに、裏組織??っていう方が、謎。


イエス様のことを、聖書は、
「天地を照らすまことの光」と言っている、。
天地を照らす光は、太陽です、。
神道の天照大神と同じで、、通じるものがある、。

うわさでは、、、伊勢神宮の内宮のご神体、心柱は、
十字架の時に使われた柱だと言われている、。
他にも、、一説によれば、仁徳天皇陵は、
マナの壺を模しているものだという。

妻木晩田遺跡(むぎばんだいせき)
(鳥取県大山町妻木)
↓この遺跡は鳥取県にある日本最大の弥生遺跡。
イメージ 4これ、四角ではないのよね、。
角が角状にはみ出ている。

なんだかね、、イスラエルの祭壇↓を、
上から見下ろした形と似てないかな??
イメージ 1




イメージ 2←お供えに使う三方。
これ↗と似てるでしょ?

日本のような山岳信仰を含めた、、
自然信仰が残っている近代国というのは、、
珍しいと思う、。
普通は、、、
他の国だと、像とか書画、絵画を拝むでしょ〜?

日本の神道は、、自然の岩石や、大きなご神木や、山そのものをご神体として、
天にまします神様をあがめ礼拝する、。

もともと、そこに自然にある神様が造られた自然のものを、
ご神体として礼拝する、。
世界の国では、、そういう礼拝形態を持っているのは、

日本の他には、イスラエルだけです、。


マグダラのマリア

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神道と古代イスラエル 3の記事で書いたことですが、、
神道では、原罪の概念はないのです、。

でも、何か悪いことを、
自分の行いとか言葉とか思いとかで、しでかして、
神様に対して、罪を犯すと魂が穢(けが)れる、、という考えがあって、
その穢れを祓い清めるために、、禊(みそぎ)とか祓いのための儀式があります、。

その罪を祓い清める、最も大きな儀式は大祓の儀式といって、
天津罪と国津罪を祓い清めるもの、。

天津罪は、天照大神の弟神である素盞嗚命(すさのおのみこと)が、
高天原で犯した罪のことで、。

畔放(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、樋放(ひはなち)、頻播(しきまき)、
串刺(くしさし)、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、糞戸(くそへ)、
これらは、天照大神の所有する高天原の田畑や神殿などで、
素盞嗚命が行った悪行で、この悪行に心を傷めた天照大神は、
天の岩屋に隠れてしまった。

世界は太陽が消えてしまい、
てんやわんやとなり、神々が協力して、
岩戸から天照大神に出て貰えることが出来たものの、、。

神々は、みんなで相談して、素盞嗚命に、
酷い乱暴をなさった報い、罰として、御身代(財産)をすべて差し出させ、
ひげも切りとり、手足の爪もはぎとって、下界へ追い払ったというもの。

サムエル記 下
10:4 それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した。
10:5 この人たちが甚だしい辱めを受けたという知らせがダビデに届くと、ダビデは人を遣わして彼らを迎えさせ、王の伝言として、「ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るように」と言わせた。

イザヤ
50:6 打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

イスラエルでは、ひげを切り取られるのは侮辱、恥、。

古事記では、素盞嗚命が手足の爪をはぎとられた、って
さらっと書いてあるけれど、。
これは、呪詛するために必要な行為なのでした、。

呪う人の爪や髪の毛を手に入れて、人型などに封じて、
その人形を呪詛の儀式の乗っ取って呪うと、
呪われた人は死んでしまったり、病気になるのです、。

つまり、手足の爪をはがされた素盞嗚命は、
神々から呪われるべき人になったということです、。

申命記
21:23ab 死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。

イエス様も、、木にかけられて、手足を釘で打たれて、
神様から呪われた者となっています、。

私の理解では、太陽神、天照大神は、天地創造の神様と1つであった、
人となる以前の御子なる神様であるイエス様でもあり、、、
素盞嗚命は、、人の罪を負って、呪われた者となって下さった、
人としてのイエス様のことで、、。

素盞嗚命が高天原で天照大神に対して犯した罪は、、
最初の人アダムとエバがエデン(天の国)で神様に対して犯した原罪
のことであるという見解で居ます、。

天地創造の神様であられるイエス様が、
人としてこの世においでになり、人に原罪を負わせ裁くのではなく、
イエス様ご自身が負って下さったのですから、。

現教義では父、子、聖霊の、みいつの神様が定説ですけれど、。
景教のネストリウス派のクリスチャンは、、
当時は、御子なる神さまであるイエス様の位格は1つではなく、
神格と人格との2つの位格に分離されると考えていたので、。

神性な神格の部分を天照大神、人格の部分を素盞嗚命とし、
それプラス、聖霊として聖別不明の月読尊(つくよみのみこと)
の三者で、、1つの太陽神天照大神、、、、
天地創造の神様と同じお方、として祀ったのだと考えています、。

天照大神、素盞嗚命、月読尊の三貴神で、
みいつの神様をも含め、複合的な意味があったと考えています、。

話を戻して、
国津罪は、人が犯す罪のことです、。

1.生膚断(いきはだたち)。生きている人の肌を傷つけること。
2.死膚断(しにはだたち)。死者の肌を傷つけること。
3.白人(しらひと)。肌が白くなる病気。
4.胡久美(こくみ)。背中に大きな瘤(こぶ)ができること。検索 こぶ 全書巻

5.己(おの)が母犯せる罪 実母との近親相姦。
己が子犯せる罪 実子との近親相姦。

6.母と子と犯せる罪  ある女と性交し、その後その娘とも相姦すること。
子と母と犯せる罪  ある娘と性交し、その後その母と相姦すること。
この4つの相姦罪は『古事記』
仲哀天皇段に「上通下通婚罪(おやこたわけ)」という名称の
1つの罪として総括されている、。

7.畜犯せる罪   獣姦のこと。
『古事記』仲哀天皇段には「馬婚(うまたわけ)」
「牛婚(うしたわけ)」、「鶏婚(とりたわけ)」、
「犬婚(いぬたわけ)」となっている、。

8.昆虫(はうむし)の災。 地面を這う昆虫(毒蛇やムカデ、サソリなど)による災難。
9.高つ鳥の災。大殿祭(おおとのほがい)の祝詞には「飛ぶ鳥の災」とあり、
猛禽類による家屋損傷などの災難とされる。

10.畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪。 
家畜などを殺し、その屍体で他人を呪う蠱道(こどう、蠱毒とも言います。)

内容を読むと分かるように、
イスラエルで、罪、穢れるとされたことが国津罪とされています、。

1.は、人を殺してはいけない、。
出エジプト記 
20:13 殺してはならない。

2.は、簡単にいえば、死体、死骸に触れてはいけない。
民数記
19:11 どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる。

3.は、肌が白くなる重い皮膚病のこと、。
レビ記
13:3 祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。

4.は、背中にこぶが出来た人、。
レビ記
21:20 背中にこぶのある者、目が弱く欠陥のある者、できものや疥癬のある者、睾丸のつぶれた者など、


5.は、
レビ記
20:11 父の妻と寝る者は、父を辱める者であるから、両者共に必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
20:12 嫁と寝る者は両者共に必ず死刑に処せられる。この秩序を乱す行為は死罪に当たる。


6.は、
レビ記
20:14 一人の女とその母とを共にめとる者は、恥ずべきことをしたのであり、三者共に焼き殺される。あなたたちの中に恥ずべきことがあってはならない。

7.は、
レビ記
20:15 動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。
20:16 いかなる動物とであれ、これに近づいて交わる女と動物を殺さねばならない。彼らは必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。

8.は、
民数記
21:5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」
21:6 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。


出エジプト記
10:15 いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。

16:20 彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。

9.は、鳥による災難があった覚えがないので、
多分、空から降るもののことではないか、、と思うのですが、。
それならば、

出エジプト記
9:19 それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」


10.は、当時は、シャーマン同士で呪詛してどちらが勝つか、、という
呪詛合戦的なことが多くあったので、それの禁止であると思います、。

出エジプト記
22:27 神をののしってはならない。あなたの民の中の代表者を呪ってはならない。

レビ記
20:9 自分の父母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。父母を呪うことは死罪に当たる。
24:16 主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。

歴代誌 下 
33:6 彼はベン・ヒノムの谷で自分の子らに火の中を通らせ、占いやまじないを行い、魔術や口寄せ、霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。

これらの、
日本国民全部の、、罪穢れを祓うための儀式が大祓の儀式、。
日本中の神社でも大祓の行事は行われるのですが、、
形代(かたしろ)と呼ばれる人形に、罪と穢れを移して、川に流す、というもの。
3月3日に行われる流し雛(びな)も、その厄払い、と同じ概念からくるものです、。

全国の神社でおこなわれる大祓式、。
6月30日と12月31日、年に2回おこなうのが恒例となったのは、、、
およそ1300年ほど昔、第40代の天武天皇の時代と言われている。
ここでも、、出てくる天武天皇、、、。

恒例化されるまでは、
重要な祭儀の前や、天災による災害などの折、
臨時に、、大祓が行われていたのかもしれないですね、、。

恒例化したのは、、
人は日常生活を送る中で、知らず知らずのうちに罪を犯し、
穢(けがれ)に触れてしまうから、というもの、。

『大祓詞』全文
 
高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐神漏美命以知氐
八百萬神等乎神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氐
我賀皇御孫命波 豐葦原乃水穗國乎安國登平介久
知食世登事依奉里伎
此久依奉里志國中爾荒振留神等乎婆 神問波志爾
問賜比 神掃比爾掃賜比氐 語問比志磐根樹根立
草乃片葉乎母語止米氐 天乃磐座放知天乃八重雲乎
伊頭乃千別伎爾千別伎氐天降志依奉里伎
此久依奉里志四方乃國中登 大倭日高見國乎安國登
定奉里氐 下都磐根爾宮柱太敷立氐
高天原爾千木高知里氐 皇御孫命乃瑞乃御殿仕奉里氐
天乃御蔭日乃御蔭登隱坐志氐 安國登平介久知食左牟
國中爾成出伝牟天乃益人等賀 過犯志介牟種種乃罪事波
天都罪國都罪許許太久乃罪出伝牟
此久出伝婆天都宮事以知氐 天都金木乎本打切里
末打斷知氐 千座乃置座爾置足波志氐 天都菅麻乎
本刈斷末刈切里氐 八針爾取辟伎氐
天都祝詞乃太祝詞事乎宣礼
 
此久宣良婆 天都神波天乃磐門乎押披伎氐
天乃八重雲乎伊頭乃千別伎爾千別伎氐聞食左牟
國都神波高山乃末短山乃末爾上坐志氐
高山乃伊褒理短山乃伊褒理乎搔別介氐聞食左牟
此久聞食志氐婆 罪登云布罪波在良自登
科戸乃風乃天乃八重雲乎吹放都事乃如久
朝乃御霧夕乃御霧乎 朝風夕風乃吹拂布事乃如久
大津邊爾居留大船乎 舳解放知艫解放知氐 大海原爾
押放都事乃如久 彼方乃繁木賀本乎 燒鎌乃敏鎌以知氐
打掃布事乃如久 遺留罪波在良自登 祓給比羌詆杙乎
高山乃末短山乃末与里佐久那太理爾落多岐都
速川乃鷦ず楚
鷽ツ堵肚療弍症杰 大海原爾持出伝奈牟 此久持出往奈婆
荒潮乃潮乃八百道乃八潮道乃潮乃八百會爾坐須
速開都比賣登云布神 持加加呑美氐牟
此久加加呑美氐婆 氣吹戸爾坐須
氣吹戸主登云布神 根國底國爾氣吹放知氐牟
此久氣吹伎放知氐婆 根國底國爾坐須
速佐須良比賣登云布神 持佐須良比失比氐牟
此久佐須良比失比氐婆 罪登云布罪波在良自登
祓給比羌詆杙乎 天都神國都神
八百萬神等共爾 聞食世登白須
 

大祓、、自分で厄払いを申し込むと、、
「形代<人形>」(撫物ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、
名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかけます。
そうすることにより、自分の罪穢を移し、
それを海や川などに流し、自分の身代わりにして罪を清めて貰えます、。
 
大祓いの儀式は、、応仁の乱により400年間、途絶えていた、。
明治4年、明治天皇の思し召しで賢所の前庭にて大祓が行われ、
翌5年には全国の神社で行うように布告が出て、
大祓が再興されるようになった。

6月の大祓は、蘇民将来が神から授けられた茅の輪で、
悪疫除去をしたという伝承による祭儀、
「夏越(なごし)の祓(はらえ)」とも言う、。

関連記事蘇民将来

天皇が麻の衣を着て、紫宸殿(ししんでん)に来られます。
麻の衣は一番卑しい姿の服だから、と一般的には言われていますが、。
麻の中の一つの種類がリネン(亜麻)です。
イスラエルでは祭司は祭儀の時に亜麻で作られた祭服を着ました。

出エジプト記
28:39 また、亜麻の長い服を格子縞に織り、亜麻のターバンを作り、またつづれ織をした飾り帯を作りなさい。

亜麻の代わりに、安価な麻の服で代用したものと思われます、。

天皇は、国民全ての罪の罪業の消滅を、神様に乞い願い、、
自分自身に罪の穢れを移すがごとくに、、大祓いの儀式をする。

神に贖いの祝詞(大祓の祝詞)を捧げる。
それが終わってから、その衣は小さな舟に乗せて、
当時は、都の傍にあった賀茂川に流された。

国民の一切の罪、穢れを麻の衣に負わせて、
川に流し捨てる神事、。
天皇が大祭司となって、日本の全国民の罪の贖いの儀式をしている、。

この罪を背負わせる概念は、、イスラエルにもありました。
イスラエルでは、雄山羊でしたが、
日本では人形及び、祭司の証である、
亜麻の服の代用品である麻の服に背負わせる、。

レビ記
16:8 アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き、一匹を主のもの、他の一匹をアザゼルのものと決める。
16:9 アロンはくじで主のものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。
16:10 くじでアザゼルのものに決まった雄山羊は、生きたまま主の御前に留めておき、贖いの儀式を行い、荒れ野のアザゼルのもとへ追いやるためのものとする。

人形であるのは、、イエス様の身代わりでもあるのです、。
イエス様を模した人形に、自分の罪穢れを負わせて、
川や海の水に流して清めるのですね、。

水は、イスラエルで言うところの清めの水でもあり、、
洗礼時の羊水の代わり、、また、新生させる聖霊の意味合いもふくめての、
罪からの新生の儀式、。
神道の祓いの儀式にはこれだけの意味合いが込められている、。

イエス様の名前はでてこなくて、太陽の神、天照大神となっているけども、
罪陰れの考え方とか、
原罪を、人としてのイエス様(
素盞嗚命)に、
罪を負わせて贖い清めて頂いた、という考え、も、、
祭司の証である亜麻の服の代わりの麻の服や、
イエス様を模した人形に、罪穢れを負わす考え方も、
神道には、すこぶる、原始キリスト教的要素があると思います、。

北イスラエルの頃の風習である、雄山羊
ではなく、
麻の服や人形に負わせたのだからね、、。
どう考えても、イエス様を暗示し象徴している、。

マグダラのマリア

神道と古代イスラエル 1は
こちら
神道と古代イスラエル 2は
こちら
神道と古代イスラエル 3は
こちら
神道と古代イスラエル 4は
こちら
神道と古代イスラエル 6はこちら
 

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前回の神道と古代イスラエル 3では、
式年遷宮について書きました、。

式年遷宮は、中世の内乱の頃や終戦直後など、
一時的に延期されたこともありますが、
現在まで1300年あまりも続いている由緒ある神道の儀式です、。

神殿を新生した如く甦らせることで、
神様の霊験、御神威も甦るといわれているそうです、。

あ、、ちなみにクリスチャンの中には、
抵抗ある方もおいでかもしれませんけども、
もしクリスチャンが、神社参拝しても、
天の父さまからの罰は当たりませんので、ご安心ください、。

クリスチャンが、キリスト教の元の、、
ユダヤ教のお宮のシナゴーグに行くようなものですので、。
むしろ、それよりもっと、イエス様寄りです、。

だってね、日本中の色々な神社を建てた秦氏一族は、
今で言うと、イエス様をみいつの神様&メシアと認め奉じていた
メシアニック・クリスチャンなんですから、。

伊勢神宮(正式には神宮)は、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る
皇大神宮(コウタイジングウ)、、これを内宮(ないぐう)。
豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀る
豊受大神宮(トヨウケダイジングウ)、、これを外宮(げぐう)。
これと、両宮に所属する別宮、摂社、末社、所管社など125社を含む総称。

どれだけ、古代の日本人が愛して
奉った神様であるか、わかります、。

内宮は、11代垂仁天皇の時、26年に天照大御神が鎮座したが、
外宮は、21代雄略天皇の時、22年に雄略天皇の夢に現れた
天照大御神のお告げにより、
丹波国から天照大御神の食事を司る御饌都神(ミケツカミ)として
豊受大御神を迎えたと外宮の入口の看板に書いてあります、。

なぜだか古来より、
内宮よりも外宮を先に参拝しなければならない。
という決まりがあって、
いきなり、内宮に行くのは駄目なんだそうで、。

昔は、内宮は、皇族以外行けない、
一般人には禁足地だったせいも、あるんだろうけど、。

なので、昔、伊勢神宮に行った時、、
私も一の鳥居(とりい)、二の鳥居をくぐって、外宮の正宮へ、。
外宮の正宮から先に参拝してから、内宮の拝殿の方へ行きました、。

鳥居は、ヘブライ語で、門という意味なんですね、。
門をくぐって拝殿、神殿に行くのは、エルサレム神殿と似てます、。
鳥居を2つくぐって、、3つ目が拝殿、、
(こんな感じで、こそっと、三位一体仕様を仕込んでる?)

外宮は、、私が行った時は、何かあったのか?
それとも、いつもああいう状態なのか、、、
少し気が荒れてた感じを受けたけど、。

内宮は、清らかで澄んだ気があって、木々の安らぎも手伝って、
大変に心地よい場所でした、。

私は、クリスチャンになる前から、天照大神がすごく好きで、
よく東京神宮とか船橋神宮に参拝しに行ってました、。
神社に行くと、心地よいからなんですけどね、。

神社の拝殿の奥、、に偏在されている、
父なる天地創造の神様、。
神殿の上の空の部分を仰ぎ見ながら、
感謝の祈りを捧げたりしています。

私は、願掛けモードオンリーの強い神社やお寺などに下手に行くと、
逆に頭痛がしてきて具合が悪くなります、。
なので、そういうとこは覚えておいて二度といかない、。

神社は、神様に感謝を捧げる所だと、わきまえて、
感謝を捧げる人が多い神社は、実に清らかな感じで気持ちがいい、。

これって、現代の教会にも当てはまると思いますよ、。
神様に積極的に感謝と賛美を喜んで捧げてるところは、
若い人も多いのではないかな?

感謝も賛美も捧げなくなっていくと、教勢も減る気がする、。


さて、、伊勢神宮が出来る前、、
景教ネストリウス派である秦氏が奉じた
天照大御神はどのように祀られていたのか、。

最も古い神様を祀る姿は、
現在のような大規模な宮でなく、
神武天皇から9代の間は、
御神体と天皇が都の宮殿内(今で言うなら皇居)の中に、
一緒に奉る仕方の同殿同床で、。

地祇(国津神)である大国主も、並んで祀られていたといいます、。
何かのお祭りのたびごとに
神様の分け魂(わけだま)を担ぎだしてきて、、
仰ぎ祀るという方法でした、。

「神籬(ひもろぎ)」や「祠(やしろ)」と呼ばれる
仮設的な祭場(旧約聖書でいうところの幕屋)を設けて、
天照大御神をお祀りしていたようです。

つまりは、お祭りがあるときだけ、
神様を肩に担いで運びだして幕屋のような仮の建物を建てて、
祀っていたわけで、。
カナンで定着する以前のイスラエルと同じ祭儀の仕方です、。

10代崇神天皇の即位39年の時、
「別に大宮地を求め鎮め奉れ」という天照大神より神勅があり、
第10代崇神天皇の皇女、
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の跡を継いだ、
第11代垂仁天皇の皇女である皇女、
倭姫命(やまとひめのみこと)を、御杖(みつえしろ)として
天照大神を託し奉らせました。

初代斎宮である、豊鍬入姫命が、
神籬(ひもろぎ)を建てて天照大神を奉斎していた
笠縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)は、
元伊勢伝承の起点となっています、。

天照大神が伊勢に鎮座する前の時代の伊勢を、
元伊勢などと言われている。
志摩の磯部と云われ、伊雑宮が建てられていた。
「伊雑宮が本来の伊勢、、本家」と云う事なのだけども。

新撰姓氏録によれば、「石辺(磯辺)氏は大物主の命の子、
久斯比賀多(くしひがた)の命(みこと)の裔(すえ)なり」とあり、
出雲系(最初に日本に来た北イスラエルの子孫、物部氏などと同じ流れ)の出自であるとしている。

倭姫命は天照大神が安らかに平和な国を導く事を願い、
永遠に鎮座する土地をを求めて、
各地を巡幸し、伊勢にたどり着き、、

「この神風の伊勢の国は常世(とこよ)の浪の重浪(しきなみ)よする国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居らむと思う。」
  『日本書紀 垂仁25年3月丙申(10日)』

との天照大御神からの神意を得て、
五十鈴(いすず)の川上に鎮座されたのが、
伊勢の内宮のはじまりとされています。

もともと、伊勢神宮は天皇家の祖神を祀る、
天皇家のための特別な神社(神宮)で、国家安泰とか世界平和を願う場所。

だから、個人的願掛け禁止、なので、、、
昔は賽銭箱が、、なかったそうです、。

イエス様は、お金求めなかったからね、。
秦氏も同じ考えで、そうしたのかな、。

願掛け禁止なので、
「私幣禁断」といって、長らく天皇以外のお供え?は駄目だった、。
賽銭投げ?(神様に対して物を投げる時点で良くないのだけど)を行う
一般の参拝者のために、聖域の地面に、お金が当たっては、
地面が汚れるので、布を広げて、
神殿の建っている地面にお金が触れないようにしたそうです、。


最後に、神社に関する不思議、。

日本全国に、、約8万5千の神社がある中で、
三ツ鳥居と呼ばれる特殊な鳥居を持つ神社、、は、
日本全国で、7箇所しかないのです、。

三ツ鳥居、別名、三輪(みわ)鳥居は、1つの大きな鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもの。

イメージ 1


最初に現れた三柱(さんはしら)の神、造化三神を表しています。

造化三神は、三位一体の天地創造の神様、
そのものズバリを表した神社なので、神様の聖別の数7社。
美和神社は、、
すごく古い時代のもので、いつ建てられたか不明なのだそう、。

三峯神社 (埼玉県秩父市)
美和神社 (長野県長野市)
三輪神社 (愛知県名古屋市)
大神神社 (奈良県桜井市)
檜原神社 (奈良県桜井市)
坐摩神社 (大阪府大阪市)
白峰宮  (香川県坂出市)

↓これは、伊勢神宮の内宮と外宮の見取り図、。
イメージ 2

内宮が御正殿、西宝殿、東宝殿で、、▽の形、正面から見たら△、。
外宮が御正殿、西宝殿、東宝殿で、、△の形、正面からみたら▽、。
△と▽とで、、2つ合わせると、、✡カゴメ紋、。ダビデの星、。

伊勢神宮が、イスラエル人、
失われた10氏族の関与している神社だという証拠です、。

寄進された灯籠に籠目紋がついてるだけで、
この神宮はユダヤと関係ないよ〜と反論してる方は、、
このことは、、多分、知らない。

日ユ同祖論、支持派の人は、
このこと知ってる人、居ると思うけど、、
あまり書いてる人はいなそうなので書きました、。

マグダラのマリア

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