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海外旅行記と旅の写真集
旅とは、日常的な時間、空間から離れて、非日常的な時間、空間を楽しむことだ。

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見本市船さくら丸記録

日本産業巡航見本市船「さくら丸」の記録
このブログは、1965年(昭和40年)11月6日から凡そ4ヶ月間にわたって行われた、日本産業巡航見本市協会主催の巡航見本市船さくら丸による東南アジア11カ国歴訪の記録映画に、カメラマンとして同行取材したとき、船内で書き留めていた日記を再編集したものです。プライベートな内容で、今まで発表することはまったく考えていませんでしたが、最近のホームページとかブログによる情報共有の時代、どこでどなたとどう繋がりが出てくるかわかりませんし、またどなたがどんな情報を欲しがっているかもわかりません。1965年の日本、そして東南アジア各国の当時の政治社会情勢について、少しでも参考になることがありましたらと、ここに再編集してアップすることにしました。

昭和40年(1965年)11月6日
第6次巡航見本市船「さくら丸」の東南アジア11カ国訪問。その記録映画を(社)日本産業巡航見本市協会から読売映画社(現読売映像)が委託され、カメラマン2名が特派員として派遣され記録映画の取材に当った。

まず巡航見本市船なるものについて説明する必要がありそうだ。通商産業省とJETROは、日本産業巡航見本市協会なる団体を設立して、日本の工業製品を世界に紹介するために、船を利用して行うと言うユニークな試みがなされた。つまり、当時、ようやく注目され始めた日本の工業製品を船に積み込み、こちらから積極的にアピールして行こうと言うもので、さらにその機会を利用して、日本文化の紹介、ひいては国際親善も成し遂げようと言う画期的な試み。つまり動く見本市船の運航と言うユニークな試みだった。

今回の第6次巡航見本市は、新たにこの巡航見本市のために建造した専用船「さくら丸」で、東南アジア11カ国を巡回することになった。

さくら丸は、三菱重工神戸造船所で、これらの目的のために建造された新造船で、12.629総トン、全長157m、全幅21m、最高速度16.9ノットで、アテンダントのための客室のほか、船倉の巨大な空間を間仕切りして展示小間を設けるほか、各階を結ぶエレベーターのほかエスカレーターを設置して、見本市船としての機能を十分に発揮できるようにしている。また見本市船として使用しない間は、移民船としても利用できるようにも作られていた。この船の運航には商船三井が当った。

さて第6次巡航見本市は、東南アジア11カ国を回る。台湾、インドネシア、ビルマ(現在のミャンマー)、インド、セイロン(現在のスリランカ)マレーシア、シンガポール、タイ、ホンコン、フィリピン、そして沖縄(この時代は、沖縄はまだアメリカ軍の管理下にあり、琉球政府が統治していた)。当初パキスタンも予定していたが、この年起きた印パ戦争により、パキスタンのカラチ寄航は急遽取りやめられた。もちろんベトナムは、ベトナム戦争の真最中でもあり、当初から予定してなかった。

寄航港順に記載してみると、台湾・基隆、インドネシア・タンジュンプリオク(ジャカルタの外港)、シンガポール(行きは燃料、水、食料品の積み込みのみ)、ビルマ・ラングーン(現在のミャンマー・ヤンゴン)、インド・マドラス、セイロン(スリランカ)・コロンボ、インド・コチン、インド・ボンベイ(現在のムンバイ)、インド・カルカッタ(現在のコルカタ)、マレーシア・ポートスエッテンハム(クアラルンプールの外港)、シンガポール、タイ・バンコク、ホンコン、フィリピン・マニラ、沖縄・那覇、以上の11の国と地域の14の港だ。これを56年の11月3日から凡そ4ヶ月間119日かけて経巡る。

わが社からの特派員2名は二手に分かれて、最初の2ヶ月間はS君が陸上班、つまり飛行機でさくら丸の寄港先に先回りし着岸の模様を撮影するほか、余裕の時間で現地を取材して回る。行きの船上班は私が担当し、船の航行中は船上の模様を、そして港に着岸し見本市が開催されている間は船内の模様を記録する。

二ヵ月後、だいたい正月元旦ごろ、インド・ボンベイ(ムンバイ)で交代し、陸上班と船上班が入れ替わる。

さて当時の記録に戻ろう。さくら丸は、今から一時間前、晴海埠頭を盛大な見送りを受けて出航してきたばかりだ。この後すぐ船室の片付けや船内のミーティングとかいろいろな雑用が山積して、落ち着いたのは五時ごろだった。

船室は四人部屋で、上下に二段ベッドと、船窓側に細長いデスクがある。この四人部屋を二名の団員で使う。

団員は、この見本市船に派遣された各企業のアテンダントや、報道関係では、朝日、読売、産経、それに私の4特派員、これに業務を取り仕切る協会関係者で構成されていた。

同室者は、ある宣伝企画会社の営業でT君。わが社のディレクターF君の兄さんの会社の社員で、それだけに親しみがある。

すべてが整理し終わった後は、観光クルーズの客船と違って退屈なもので何もすることはないし出来ることもない。楽しみは夕食だけだ。

六時夕食。船での最初のディナー。船ではこの食事が楽しみの最たるものだ。船での食事は豪華だと聞いていたが、観光目的の客船ではないのであまり期待していなかったが、最初の夜にふさわしく豪華なものだった。その時のメニューは
 小さな薄いソーセージの入ったコンソメ
 自家製マヨネーズのうまいエビフライ
 大きくてまずいビーフステーキ
もっとという人にはマトンのグリル
 デザートにはチョコレートのかかったアイスクリーム
そしてサンキストのオレンジ
 それにコーヒーか紅茶など

今から見ると定番のディナーで、豪華客船の料理とは比較にならないくらいオーソドックスなメニュー、そしてレシピだった。1965年当時、これはこれで目を見張らせるものがあった。こういったコース料理が朝昼晩と、これから119日間続くのだ。だが日本の船、和、洋、中と、バラエティに富んだメニューが用意されているはずだ。119日間、一体どうアレンジしてあきさせないかに関心があった。

このさくら丸は商船三井が運航に当っており、見本市船として就航する前までアメリカ航路に就航していた。その時に仕入れた牛肉と果物類をしこたま載せている。ビーフステーキの、量だけはヘビー級だがまずいのはそのせいだ。ただオレンジやグレープフルーツ、それにメロンは最高。

船はかすかに揺れる程度。エンジンの音と振動がなかったら、ホテルの一室でくつろいでいるといった感じだ。まず一日目がようやく終わった。しかしこれから百十九日もある。先は長い。

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