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今日15日は終戦記念日!1945年7月16日の真夜中私達が住む、平塚が爆撃を受けた。父は横須賀で勤務!亡くなる迄、戦時中の事は聴く事は無かった。
照明弾が投下されて真昼のような明るさだった。母と妹と手を繋ぎ背中には弟を背負い海岸の方に逃げた。平塚には、軍需工場が沢山有ったと姉から聞かされた。
私は、国民学校2年生・・・電球には、覆いを被せ表に洩れないようにしていたと思う。海岸には沢山の人々が集まっていた。空襲警報が収まって家に帰って見たら一面焼け野原で東京迄が見えた。
蔵が彼方此方に転々と残っていたが・・・トタン板で、家らしき物を作りその中で雑魚寝をしたと思う。着る物も食べるものも全部無くなって、母はどうしたのか覚えはいない。
終戦直後、ジープでアメリカ兵がトタン家の我が家に、ガムをムシャクシャ食べながら、家宅捜査に来た。靴のままで上がる。6畳一間しかない家に何があるのだろう?怖かった!鼻がいやに高く眼が青い。近くで見たら天狗のように見えた。
近所の小父さんが、注意せよと知らせてきたと後から聞いた。軍刀を所持していたので家の隅に掘って隠した。暫くして服や下着をジープで持ってきたアメリカ兵が置いていったがヒラヒラした、ワンピースを1枚貰った、空色の水玉模様だったが。
戦争は、何の為にするの?何故と?と何度も聞いたが納得する返事は貰えなかった。飢えで小さな弟は死んでしまった。今も時々思い出す、B29のあの音を。
低空飛行で花火より早く矢継ぎ早に浴びせる爆弾!
絶対に忘れない!母の苦労と涙を。今も直苦しんでいる沖縄の人びとが気になります。本当の平和を下さい!
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