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町、いきいきせんたー大会議室で、当のご本人と奥様の講演を拝聴に出掛けた。定員200名という事だったが会場は満席で「認知症」への関心が高いのが私を含めて理解できた。
ご本人の杉野文篤氏(62歳)と奥様の由美子氏(60歳)はお若くて溌剌として見えた。
京都市内の大学で事務局長をされていた時、「若年性認知症」と診断された。
異変を感じたきっかけは桃山地域に住んでいて、”桃”という字が書けなくなっていた事。口で説明しても書けない?
ショックでしたという。認知症という言葉を作ったグループにいらした小澤勲先生と仕事をしていた事があった。認知症の症状の話など聞く。良い顔をされた方の写真を見せられて、どう思うか?と聞かれた。ごく普通と応える。
「そうでしょう。普通なんですょ」と。出来なくなる事が増えるけど、暴れたり、徘徊する人はごく一部だと知った。
又、空間認知障害のため着替えが難しい。絵を書こうとしても難しい。人を描こうとしてもきちっとした形にはならない。字も同じだと・・・
診断後に1年間仕事を続けた。パソコンの操作も忘れてファイルの保存場所うがが分からなくなることもあった。奥様は、社会的責任を感じ苦しんでいたはずとおしゃる。仕事は続ける自信をなくし定年前に辞めたという。
認知症と診断されたけど、どう生きていけば良いのか判らなかった。認知症の医学は進んでいるが、その人たちの生活をどうゆうふうにに保証するのかという視点が今の医療にはない。
テニスサークルに初めて参加した時、皆さんが明るく笑っていた。誰が当事者か判らない。それまで二人で暗くやっていたから、すごく救われた。
京都市上京区であった講演会で文篤さんは病気を公表し、当事者として話をするようになった。
僕たちは後に続く人の為に参考になればと思っている。いい先生や、いい仲間に巡り合えた。「僕は認知症です。もしお金を忘れたら妻に請求して下さい」と伝える。
会話は不自由していないので、話す事で協力者を増やす事ができる。
説明できる脳力を残している認知症患者であれば説明し何かあったらお願いしますと言えたら尤生きやすくなる。街全体に広がれば認知症でも安心して生活ができる地域が作れるのでは。症状が薬で緩和される事は望ましいが生きている以上周囲の理解があるかどうかで大きな違いがある。
講演を真剣に拝聴した。色々な薬はあるけど完治ではなく、進行を遅らせるだけという。積極的に講演をされてはいるけど、徐々に病気が進行していると奥様は言われた。お辛いと思う。今のこの時間は貴重な時間だと気付かされた。私も後期高齢者、徐々に狭まりつつある貴重な時を大事にしたいと改めて思う。
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