三陸 大船渡 碁石海岸 <鮮魚シタボ ママの日記>

大震災からもう8年…娘の死からもう8年…受け入れることに時間がかかりそうな母です

シタボママの日記(平成29年)

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今年も師走・・・

このブログ・・・さっぱり更新できずに1年が過ぎようとしています(⤵)
さんま直送は9月後半から少し持ち直し、いただいたご注文を全て発送することができました。

イカも例年より低迷が続き、思ったように獲れなかったです。お客様にお伝えするにも目安がなかったので、毎日市場へ出向く主人に聞きますと、
「これまでは時期になると時化を除けば、数千箱という単位で水揚げされていたのが、今年は数十箱。少ない品物を何十人もの買人で競うから値段も高くなる」
と言われました。

鮭も同じです。産卵・放流されてから4年後故郷の川に戻ってくるわけですが、少なかった昨年よりもさらに少ない水揚げです。
鮭が獲れないと言うことはイクラも少ない・高いのです。

一番の打撃はホタテです。季節のご挨拶や贈り物、バーベキューや鍋にかかせないのが殻付きの活ホタテです。養殖だから安定して流通しそうですが、今年は稚貝のうちに死滅したり奇形貝が多かったり、大きくなったころには時化や台風の被害で落下したりと、この年末不足しています。
品薄なのであったとしても小さくて値段が高いのです。

前回の更新からもう○○日。そのうちに工事は進み、防潮堤の壁がこちらに迫りつつあります。

9月15日と比較してみますよ!

↓9月15日イメージ 1


↓12月5日の写真です。イメージ 2

矢印の辺りを拡大しますとこんな感じです。まるでアパートか?ビルの建築現場のようです。
イメージ 5


対岸の西側岸壁
↓9月15日
イメージ 3

↓12月5日
イメージ 4

こちらも拡大してみるとこんな感じです。ブルーシートの下の方にコンクリート製の構造物ができあがってきています。
イメージ 6


今年は、さんま・イカ・鮭の他にウニやアワビも不漁です。
餌になる海藻が育たないからです。ワカメ養殖や昆布養殖などの作業時に出る切れ端は海に戻すことで餌になり、いい循環を保ってきていたと思います。今ではまるでごみ・廃棄物扱いで海に戻すことはできません。そう言う決まりになったそうです。

そこへ防潮堤工事のため、コンクリートが毎日海の中へ・・・
震災後、自然のままの昔の海に戻ったと思ったのもつかの間。
海からの恩恵を受けている地元の漁師さんたち、私たちのような流通業者にはどんな未来が待っているのでしょう。

来年に期待しています。






↓震災直後の記事です。
携帯電話での更新が精いっぱい…の時でした
皆さんから毎日たくさんのお見舞いや励ましをいただき
更新を続けることができました。
 
↓震災後1年の時の記事です。
震災直後を回想しながら、何日にも分けてゆっくり書き込んだ記事です。
「被災するってこういうこと、被災者ってこういう毎日を過ごしたんだ」と
いうのが皆さんに少しでも伝えられたら…と思い出しながら書いたことを
覚えています。


↓震災直後と一年後の比較写真です。
私が語り部をする時には必ず持ち歩く資料です。


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ごぶさたしております。
先月更新した際、せっかく撮った写真がありますのでご紹介させていただきます。

そのうち!そのうち!と思っていたらあっという間に1か月以上も過ぎてしまい、防潮堤の近くの写真を載せようと思っていたのにこの始末です。

あれからやっとさんまの水揚げがあり、これまでにいただいたご注文を全て発送することができました。

↓自宅を出発し西側岸壁の防潮堤の工事現場に行ってきたのでご覧ください。
イメージ 1

↓左折します。今までは右折だったけれど…
海岸の工事が始まってから海岸に行く道が変わりました。
嫁いでから30年以上も通っていた道が変わると、新しい道になっても元の方向につい曲がってしまう…変化に付いていけてない……笑
イメージ 2



↓ここから右折!(仮設道路の看板が出ています)
震災前は碁石屋さんへ入る道でした。
この入口付近には、山本さん、鎌田さん、熊上さん、及川さん、熊谷さんなど2階建てのお宅がびっしりと並んでいました。
イメージ 3



↓西側岸壁と東側岸壁への分かれです。
震災前はここに防潮堤がありましたが、津波で壊れてしまいました。
この場所から海が見えるのはとても不思議な気持ちです。
イメージ 4



左折するとすぐ、コンクリート製の構築物が見えます。
でかい…
足場が組まれ、とても頑丈そうな(=すみません)防潮堤ができてきています。
もう少し近づいてみますね。
イメージ 5

  

↓方向を変えて写真を撮ってみました。
こんなものができていたのか……と思いました。
これで100年だか1000年に一回の津波が防げるのかなぁ…
防潮堤くん、がんばって! お願いしますよ!
イメージ 6


↓防潮堤工事の作業現場はこんな感じです。
被災地の海岸線はどこも似たような景色になってしまいました。
なんか圧迫感がありますね。
イメージ 7







↓震災直後の記事です。
携帯電話での更新が精いっぱい…の時でした
皆さんから毎日たくさんのお見舞いや励ましをいただき
更新を続けることができました。
 
↓震災後1年の時の記事です。
震災直後を回想しながら、何日にも分けてゆっくり書き込んだ記事です。
「被災するってこういうこと、被災者ってこういう毎日を過ごしたんだ」と
いうのが皆さんに少しでも伝えられたら…と思い出しながら書いたことを
覚えています。


↓震災直後と一年後の比較写真です。
私が語り部をする時には必ず持ち歩く資料です。

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H29年9月15日の自宅付近

おはようございます。

さんまが獲れなくて憂欝な毎日です。
北海道の沖合に今の漁場があり、そこへ各県のさんま船がさんまを獲るべく集結しているのです。
が、魚量がすくないのか魚群に当たらず…ほんの少し獲れたさんまはそのまま北海道の魚市場に水揚げされます。

それでも地元の船は大船渡魚市場に向け、約二昼夜もかけて走ってきてくれるのですが、水揚げされたさんまはとても小さいのです。

さんま直送便の受付を開始してから、まだどこへも送れない毎日です。
大さんまはおろか、中さんまがほんの少しで、加工にまわすような小さんまばかり。
小さいから安いのかと言えばそうでもないので加工もできない。
(北海道に水揚げすれば燃料費がかからないのですが、二昼夜もかけて大船渡まで走ったら相当な燃料費がかかるからです)

主人曰く=今年はどれも時期が遅れて獲れているように感じる。もう少し待ってみよう。というわけで私たちがヤキモキしても自然が相手のこと…仕方ありません。
今年はウニも実入りが悪く扱い量が激減しました。
北海道のサケも不漁とか(サケが不漁だとイクラも手に入らない)…不安材料ばかりです。三陸出身のサケは三陸の川に戻って来ます。が、北海道でどれだけ獲れるのかが大事なことなのだそうです。


◎長年獲れていたものが獲れなくなってきているのを実感しています。


↓今朝の自宅付近です。店の二階から撮りました。
泊里漁港の東側です。
赤の↓は今建設中の防潮堤。
この高さで防潮堤が造られていくそうです。対岸の広田半島は見えなくなりますね。
写真の中央にコンクリート製ブロックのようなものが並んでいますね。
これも防潮堤工事に使われるのだそうです。
次の写真は同じく西側です。


イメージ 1



上の写真の場所からほんの少し右にずらして、今度は西側です。
上の写真の赤矢印↓から下の写真の赤矢印↓まで、防潮堤ができるのです。
青いシートが張ってあるのは掘削の跡。
これからどんな工事が進み、どんな景色になるんでしょうか。
イメージ 2










↓震災直後の記事です。
携帯電話での更新が精いっぱい…の時でした
皆さんから毎日たくさんのお見舞いや励ましをいただき
更新を続けることができました。
 
↓震災後1年の時の記事です。
震災直後を回想しながら、何日にも分けてゆっくり書き込んだ記事です。
「被災するってこういうこと、被災者ってこういう毎日を過ごしたんだ」と
いうのが皆さんに少しでも伝えられたら…と思い出しながら書いたことを
覚えています。


↓震災直後と一年後の比較写真です。
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あったげ(気仙語でたいへんとかとてもとかの意味=ありったけ)
ごぶさたしてしまって…すみません。

日々の生活に振り回されて、更新しなくちゃ…とは思っていたんですがなかなか…やっと落ち着いてパソコンに向かうことができました。

というわけで前回の続きです。
前回は小細浦の地区内をご覧いただきました。
今回はそのまま平に抜けて中学校まで。
ここから右折しますね!
イメージ 11


直進します。
イメージ 1


懐かしく思っている方たちも多いでしょう。
細浦方面からはここが通学路だったはず…
イメージ 2

↓変わらぬ風景です。
ただ上のコンクリート製の道路を走っているのがバスに変わっただけ!
イメージ 3


左折しました。
このまま中学校まで走ります。
イメージ 4


どんどん進みますね!
イメージ 5


↓ちょっと右手を見ると大震災後に建った家々が並んでいるのが見えます。
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↓よそ見はやめて直進します!(笑)
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「居場所ハウス」
子供からお年寄りまで色々な方が利用する施設。
イベントや様々な教室や日にち限定で市が開かれたり、食堂でお食事もできます。
復興のお手伝いや、派遣でこちらにいらした方々も利用していました。
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↓もうちょっとです
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↓現在の末崎中学校です。
イメージ 10











↓震災直後の記事です。
携帯電話での更新が精いっぱい…の時でした
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震災直後を回想しながら、何日にも分けてゆっくり書き込んだ記事です。
「被災するってこういうこと、被災者ってこういう毎日を過ごしたんだ」と
いうのが皆さんに少しでも伝えられたら…と思い出しながら書いたことを
覚えています。


↓震災直後と一年後の比較写真です。
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H29年7月9日の小細浦

ごぶさたしてしまいました。

前回は一気に神坂から小山まで行ってしまいましたが、途中少し戻って枝道に入ってみますね!
↓アサノ通運さんの手前を左折します。

イメージ 1


↓東日本大震災の時はこの辺りも被害があったなぁ…
イメージ 2


↓右側を見ると震災後にできた、復興工事の方々の宿舎が立ち並んでいます。
イメージ 3



↓この辺りに同級生の家がありましたが…
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↓このY字路を左に行ってみます。
イメージ 5



↓右にみえてきたのは西舘冷蔵さん
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↓先ほどのY字路まで戻りました。ここを左折して県道碁石海岸線に向かいます。
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イメージ 8



↓進みますね!
イメージ 9


↓なんか末崎町内の景色じゃないみたい(笑)
イメージ 10


↓小細浦には無かったものが、たくさん建ってますよね
イメージ 11



↓はい、県道275号に到着しました!!
イメージ 12










↓震災直後の記事です。
携帯電話での更新が精いっぱい…の時でした
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