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ゼミのエバリュエーションレジュメを書きました。
頭もじゃもじゃ。。
もっと役者の存在、仕事を疑う必要があった。劇作りにあたって戯曲や演出に従って台本通りに劇を作るだけではなく、人がそこに存在するということを行いたい。
稽古中に“そう書かれているからそうしているようだ”という言葉を聞いたが、ある意味その通りだと思う。
どんなにその役のことを考え、心情のコンテクストを踏まえた上で台詞を言っても、それはそう書かれているからそのコンテクストを引っ張り出し、喋っているのだ。
台詞が書かれていれば喋るのか。書かれた台詞以外は喋らないのか。
例えば一つの戯曲の読解として登場人物が喋ること、発した言葉を疑うなら、劇場内で役者の喋るという行為自体を疑うことが出来ると思う。
演劇をもっとライブのものにするにはそこから考える必要がある…気がする。
ただ、演劇ではなくなる可能性もあるが、しかし観るものと観られるものが存在したらそれが演劇だというならそれもありだと思う。
また、現在ほとんどの戯曲は台詞とト書きでかかれており、それが当然となっているが、そこに必然性はないのではないか。
話すという行為は人間の動作の一つでしかないが、今の演劇は話すことが中心に置かれている。
台詞ではないもので書かれる演劇の台本の可能性を考えてみたい。
そもそもこんなこと考える意味あるのかな。
演劇ってわけわかんない。
分かんないから楽しい。
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