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http://blogos.com/article/123635/ 秋原葉月氏のブログより〜
自衛隊の海外での武力行使を解禁する、ということは、
自衛隊がいわゆる普通の軍隊になる、ということです。
欧州の先進民主主義国も「いわゆる普通の軍隊」をもっていますから、 日本だってそうすればいい、
欧州の民主主義国家同様の「軍隊のある普通の国」になるだけのことだ、
という事が良く言われました。
しかし、日本は決して「軍隊のある普通の国」にはなれないでしょう。 憲法の神髄について考えるとき、その国の歴史を抜きに語ることは出来ません 例えばドイツの憲法は人権条項などいくつかの条文は改正が禁止されてますが、
これはナチにいいように憲法を無効化させられ、
民主主義をズタボロにさせられた歴史に基づいています。
同じように、日本国憲法も歴史を抜きには語れません。
日本は敗戦まで軍国主義ファシズムを極め、 アジアで筆舌に尽くしがたい大虐殺を行い、
国民に対しても激しい人権弾圧を行った恐ろしい専制国家でした。
ですから日本の民主主義や人権尊重の理念は、
それまで国内外で激しい人権蹂躙をしてきた軍国主義ファシズムを徹底的に否定、
反省することから始まったのです。
究極の人権侵害は戦争だ。 だから軍隊を持つことはキッパリやめて、戦争は放棄しよう、
そのことを憲法で宣言しよう、それによって人権保障と民主主義を確立しよう。
徹底的な平和主義こそ、何よりも大事な個人の人権尊重を保障する礎なのだ
これが日本の民主主義の出発点、原点であり、日本国憲法が背負う歴史です。
「軍隊のある普通の国」であるヨーロッパ諸国とは異なる点ですね。 徹底的な平和主義こそ個人の人権を保障する礎という理念は「軍隊のある普通の国」より、一歩進化した考え方でした。 欧州では民主主義は市民が血を流して自ら勝ち取りましたが、
日本では最後までついに民衆自らが民主主義を勝ち取ることはありませんでした。
戦後占領軍により民主主義を授けてもらった、
いわゆる「上からの民主主義」「棚ぼた民主主義」です。
ですから民主主義がスタートしても 民主主義的メンタリティは国民の中に培われていませんでした
それでも民主化政策が徹底的に完遂され、
教育を通じて民主主義的な意識が広く国民に浸透すれば、
それまで国民の中にほとんど培われていなかった民主主義的なメンタリティは、
市民革命を経験した国のレベルに近いところまでいけたかもしれません。
しかし日本の民主化政策はアメリカの反共政策の思惑によって途中で変節し 不徹底なものに終わってしまいました。
それは、大日本帝国の頂上にいた天皇が何の責任も問われることなく「象徴天皇」という曖昧な形で残され、 戦犯であった岸信介が政権の中枢に返り咲いたことに象徴されます。
このツケはいつか必ず払うときが来るー 戦前の軍国主義ファシズムのメンタリティは根絶できなかったどころか、 政権の中枢に種となって蒔かれ、生き延びました。
それが70年かけて芽を吹き、根を張り、憲法を勝手に無効化するほど育ってしまいました。 一方、真に民主主義的なメンタリティは、 国民に広く強く揺るぎない根を張ることはかなわず、
今や枯れ落ちてしまいそうな状態です
ツケは、今や戦後70年たった現在の若者にのしかかってきました。 そう、デモに次々参加している若者達です。
こんな理不尽なツケがあるでしょうか 私は(本来の意味とは若干異なりますが)いつもこの故事を思い出します
『新しい革袋には新しい酒を入れよ。新しい酒を古い革袋に入れれば革袋が破れて酒が漏れるし、袋もだめになる』 世界で最も先進的な日本国憲法という新しい酒は、 古い革袋に入れられたため悲惨な結果を迎えそうになっています。
まるで、もっとも先進的と言われたワイマール憲法がたどったのと同じ道をたどるように。 9条を壊すような「普通の軍隊」を持つことは、 日本にとっては民主主義の原点を壊すことに等しいです。
そして、9条を壊し「戦争の出来る普通の軍隊」を持ちたくて仕方ないのは、
不徹底な戦後処理によって生き延びた「戦前の亡霊達」です。
現憲法の民主主義や人権尊重の崇高な理念を「戦後レジーム」として心底憎んでいる「戦前の亡霊達」です。
今回の安保法制は、戦前の亡霊達の悲願と、 海外で戦争するアメリカが日本に莫大な軍事資金と人材を肩代わりして欲しくて
仕方がない思惑が一致したものです。
これでいわゆる普通の軍隊を持った暁にはどうなることか、目に見えていますね だから日本はいわゆる「軍隊のある普通の国」には未来永劫なれません。
「軍隊のある前近代的な非民主主義弾圧国家」に戻ってしまうだけなのです。
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