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私の意識がはっきりしたのは緊急病棟から一般病棟の脳神経内科へ移ったしばらくしてからだと思います。それは今いったい何時なのかがわからず、医師から声をかけられた時に解ったのが最初でした。
急性期病院と言う事もあり個室は、重病人が入る1つしかありません。それが72号と言う部屋でした。その部屋に1ヶ月くらいいたでしょうか。それは呼吸器を付けている人の中でも重病人であったことだと思います。
9月の終わりくらいでしょうか。朝だったと思います。先生に「村野さん これで苦しくない?呼吸できてる?」の声で起きました。主治医とは別に臨床研修医の先生が担当医として付いていてくれ日々呼吸器をいじっていました。それはこの時はわかりませんでしたが、肺にあまり酸素を送るのも良くないという事や日々少しずつ呼吸が戻ってきて自己呼吸の割合を増やして行った為、日々設定を変えていたようです。
かみさんが日記をつけていてくれ去年の11月15日に呼吸器が取れたようです。
この話は、後ですると言う事で
先生に声をかけられ「ここはどこ?」状態になっていました。
その時も夢を見ていました。新宿の高層ビルの60階や70階もしくはそれ以上の高さのある病院の角部屋に入院している人のお見舞いに行っていました。その方も全身が麻痺していて動かず、その姿を空の上から見ている自分がいて、見ていると声がして起きたという状況でした。
おきた時全身が動かず、「あれ?」「どうなっているの?」と・・・・・
指も動かず、その時に先生にクチパクで(呼吸器が入っているので声が出せません)
状況がわからないので少し待ってと言った覚えがあります。
頭を整理し、救急車を呼んで昭和病院へ行ってと順に思い出していきました。
その時の気持ちは多分本人にならなければわからないかも知れませんが絶望感しかありませんでしたし、俺は死ぬんだと言う気持ちにしかなりませんでした。
病は気から と言う言葉がありますが、この絶望感を期待感や治るんだという気持ちにならなければ身体は動いてくれません。この気持ちになるまでかなり時間がかかったと思います。
それまでは何を言われても「安心させるために嘘を言っているんだ」とか「もう駄目だな」「早く死なせてくれないかな」とず〜と思っていました。
信じなさいと言われても実際にまったく身体が動かない。指先も動かない状況の中で希望を持てと言うのも出来ずにいました。
後になってギランバレー症候群に実際になって回復された方のブログや漫画がありましたのでご紹介のみさせていただきます。
http://raysofhope.jp/ ヒカリサスミチ 私がスマホをいじれるようなったときからほぼ毎日読んでいました
ここにはリハビリの仕方等も載っていますのでかなりためになります
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