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私がギランバレーになって、昭和病院で動けず寝ている時に最初は1人部屋次にとなりの4人部屋で少しずつ安定してきたらナースステーションから遠ざかって行きました。
2番目に入った71と言う部屋には10月〜11月までいました。その部屋は2番目に重篤な方が入るへやで安定していない人の入る部屋です。したがって亡くなる方や意識のない方が入っていて、私は身体はまったく動きませんがその時はもう意識もはっきりしていて見える範囲でいろんなことを考えていました。
一番意識の中にあったのは「死に方」です。これを間違えると家族に迷惑がかかるな〜と考えていました。
不謹慎かも知れませんが、意識のない人や苦しそうにしている人は本当に生きていたいのか?自分ならどう思うのか 口のきけるお年寄りの方は「早くお迎えに来てくれ」とみなさんつぶやいている状況下の中す〜っと考えて考えて結局答えは出ませんでしたが、かみさんには「殺してくれ」と頼んだ事は覚えています。
まったく身体が動かない=絶望感しかない=生きる力、生きる精神がなくなる
この頃は1日が非常に長く感じていました
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私の闘病生活が始まった時、当初の問題は私がどうやってナースコールをし看護師を呼ぶのかでした。
私の四肢はまったく動かず、手指さえも動きません。唯一親指がかすかに動くのかやっとの状況で、その時に私は痰を出す薬を投薬されていて、また喫煙をしていたために余計に痰が出る状況
この痰が厄介で、つまると息が出来ず、非常に苦しいし、とってもらうときも苦しい。人口呼吸器は当初口からのどに差し込んでいましたが、3週間程度立ったときに喉を気管切開し息は喉からしていましたがそれでも涙が出るほど苦しかったです。
したがって1時間に1回程度、痰をとってもらっていましたが、担当の看護師さんだって忙しいので苦しくなったらそのたびに呼ばなくてはいけない。しかしナースコールが出来ないという状況が3ヶ月続きました。
この時、治ったら禁煙しようと感じ、今でも喫煙していません。
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私が発病した8月25日から緊急病棟にいた時は、意識がなくたまに起きてもその時間は1時間程度でしょうか
あまりあまり覚えていませんがそんな中でも夢は見るんです。夢なのか??
目が覚め身体が動かないので天井をいつも見ていました。目で見える範囲は想像の世界で後からわかったのですが個室の前はナースステーションになっていましたが、病室内もよくわからない状態で声だけ聞こえてきます。「○○さ〜ん どうしたの?薬〜?」「○○さ〜ん どこいくの 用意できたよ〜」など患者さんを呼ぶ看護師さんの声がするので私は2ヶ月間ほど外来の場所に私がずっといると思っていました。
もっと不思議なのは、天井にいろんな人の顔が見えるんです。私の親父も見えましたし、アニメの人たちや芸能人の方々、幽霊、死神などなどいろんなものが見えていました。
後々、何ヶ月も先にわかったのですが
私には「緩和ケアチーム」と言って患者さんの苦痛を和らげてくれるチームがついて毎週月曜日に病室まで
6人〜7人来て私のわがままや痛さを取り除こうと努力してくれてました。その中のリーダー的医師にその事を話すと「そうですか見えちゃいましたか〜」と意味ありげに話してくれました。
てっきり病院の中にいる幽霊話かなと思ったら 「 せん妄 」と言うらしく別段おかしくない症状らしいです。
私はてっきりお迎えが来たのか 精神障害なのかと思ってしまいました。
者によく起こる。大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意
識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である。
とありました、
この頃は、覚えているのはよく主治医の深尾先生が「治らない病気じゃないし、死ぬ危険はもうないからいっしょにがんばりましょう」と声をかけてくれていました
この頃はまったく信じていませんでしたので、みんな嘘を言ってるんだ、もう死ぬんだと常におもっていました、
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私の意識がはっきりしたのは緊急病棟から一般病棟の脳神経内科へ移ったしばらくしてからだと思います。それは今いったい何時なのかがわからず、医師から声をかけられた時に解ったのが最初でした。
急性期病院と言う事もあり個室は、重病人が入る1つしかありません。それが72号と言う部屋でした。その部屋に1ヶ月くらいいたでしょうか。それは呼吸器を付けている人の中でも重病人であったことだと思います。
9月の終わりくらいでしょうか。朝だったと思います。先生に「村野さん これで苦しくない?呼吸できてる?」の声で起きました。主治医とは別に臨床研修医の先生が担当医として付いていてくれ日々呼吸器をいじっていました。それはこの時はわかりませんでしたが、肺にあまり酸素を送るのも良くないという事や日々少しずつ呼吸が戻ってきて自己呼吸の割合を増やして行った為、日々設定を変えていたようです。
かみさんが日記をつけていてくれ去年の11月15日に呼吸器が取れたようです。
この話は、後ですると言う事で
先生に声をかけられ「ここはどこ?」状態になっていました。
その時も夢を見ていました。新宿の高層ビルの60階や70階もしくはそれ以上の高さのある病院の角部屋に入院している人のお見舞いに行っていました。その方も全身が麻痺していて動かず、その姿を空の上から見ている自分がいて、見ていると声がして起きたという状況でした。
おきた時全身が動かず、「あれ?」「どうなっているの?」と・・・・・
指も動かず、その時に先生にクチパクで(呼吸器が入っているので声が出せません)
状況がわからないので少し待ってと言った覚えがあります。
頭を整理し、救急車を呼んで昭和病院へ行ってと順に思い出していきました。
その時の気持ちは多分本人にならなければわからないかも知れませんが絶望感しかありませんでしたし、俺は死ぬんだと言う気持ちにしかなりませんでした。
病は気から と言う言葉がありますが、この絶望感を期待感や治るんだという気持ちにならなければ身体は動いてくれません。この気持ちになるまでかなり時間がかかったと思います。
それまでは何を言われても「安心させるために嘘を言っているんだ」とか「もう駄目だな」「早く死なせてくれないかな」とず〜と思っていました。
信じなさいと言われても実際にまったく身体が動かない。指先も動かない状況の中で希望を持てと言うのも出来ずにいました。
後になってギランバレー症候群に実際になって回復された方のブログや漫画がありましたのでご紹介のみさせていただきます。
http://raysofhope.jp/ ヒカリサスミチ 私がスマホをいじれるようなったときからほぼ毎日読んでいました
ここにはリハビリの仕方等も載っていますのでかなりためになります
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昭和病院では、最初の2週間は緊急病棟にいたらしいです。
その時の写真がアップした写真です。
私の治療は基本的にはありませんが
1、免疫グロブリン大量静注療法
2、血漿交換療法
を行っていきました。
2の血漿交換療法は1回7万円を3回程度やったと思いますが効果はなかったようです
1の免疫グロブリン大量静注療法は1本5万円の薬を1日11本を5日間計300万を昭和病院で7回やったそうです。これだけで2100万円かかりましたが、高額医療制度のおかげで実費負担は20万程度でした。
これも最初の4回くらいはまったく効果がなく効果が表れたのは11月くらいからでしょうか
この頃は、まだ口から人工呼吸器を入れ、鼻から栄養を入れる管
両手には計3本の点滴と首からも点滴か血漿交換療法用の管が出ています。
日付が9月6日となっていますので入院してから10日がたっています。
その時は、ほとんど眠っていてたようです。
かみさんから後から聞いた話ですが、どうやら薬で眠らされていたようで看護師さんに聞くといやな事を忘れてしまう薬を点滴しているとの事(あぶない薬?)後から病棟が変わった時に事件があってその時からその薬の投与はやめました。
その時は、自分の空想の世界に陥っていました(ラリッていたのかも知れません)
よく見た夢は
○東日本大震災の津波に自分が巻き込まれる夢
○江戸時代に人肉を食われる夢(自分も殺される夢)
○世界が破滅しそうになり(天変地異で)アルプスなどの高い山の上に施設を築きそのこに住んでいる夢
見ていた夢のほとんどが「死」を連想する夢や死から逃れる夢でした。
意識があまりないような状況の中で自分の置かれた状況がわかっていたのでしょうか?
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