北島 陽子の武士道講習

「9.24以来」 ☆ 恥を知る国へ!

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 そういう方々の霊(英霊)が祀られているのが、靖国神社だ。
ところが、占領後教育はこの神社を、軍国主義の亡霊の社 だと
日本の子弟に徹底的に刷り込んで、あんなおぞましいところはない
と、盛んに吹き込んできた。私もその教育で育った。
 
昭和天皇は、敗戦直後のうちひしがれた日本国民に、
 
     降りつもる深雪にたへて色かえぬ
        雄々しき松よ 人もかくあれ
 
という御製の応援歌を賜ったが、この国では、
高等教育を受けたインテリほど、コロッと要領よく 忠君愛国から
「平和と民主主義」 という美名の 「反日=忠連合国」 へと、
どんな紅葉よりも色鮮やかに、百八十度旗色を変えた。
 
「きのうまで神州不滅とか天皇帰一とか夢のようなことをいっていた
連中が、一夜にして日本を四等国と罵り、天皇をヒロヒトと呼び捨て
にしている。にがにがしいと思った。
よろしい、みなさんがその了簡なら、こちらは反動ではないが、
これからは保守派でゆきましょうと思った。」
 
という文藝春秋の池島信平のような気骨あるサムライは少数派で、
占領後日本の主流派となった左翼・進歩的文化人たちは、この
手のひらがえしぶりに唖然とする青少年を尻目に、占領軍御用達の
東京裁判史観、子供の目線で言うなら 「手のひらがえし史観」 
を唱え始めた。
 
我惟フニ此レ戦後ノ国体ノ精華ニシテ 教育崩壊ノ淵源亦実ニ此
ニ存ス.....
 
当時小学六年生だった京都経済同友会の豊永高明氏は、古希を
越えて証言する。
「戦争に負ければ集団自決するのが当然だと思っていた。
終戦後の大人達、特に小学校の先生たちの態度豹変ぶりを
忘れることが出来ない。」         (『わが人生に悔いあり』)
 
そういう臭いものにはフタをして、シレッとして唱え続けてきたのが、
日教組のあまりにも有名なスローガン 
  「教え子を再び戦場に送るな」
だ。
 
私は80年代の現役学生時代から、この日教組スローガンの
しらじらしさが心に突き刺さって、どうしても、周囲の同僚学生に
唱和してこのスローガンを口にすることが出来なかった。
といっても、この恥知らずなスローガンを自分は口にしない
というのが精一杯で、もう一歩進んで教育学研究室において
このスローガンを批判できるほどの強さや確信は、当時はまだ
なかったが。ただ、青年の直感で、やましいものを嗅ぎ分けたのだ。
 
 (余談になるが、沖縄の集団自決への軍関与有無問題も、軍関与
  以前に、こういう教育者の関与がベースにあるのに、そちらは
  ちっとも問題にされず無罪放免で、軍人の行動だけがつつかれ
  叩かれ続けるのは、実にアンフェアーであると、フェアーを愛する
  きまじめな教育学徒だった私は憤慨したものだ。)
 
 
国家社会の矛盾を解決して、理にかなった、暮らしよい国に変えて
いきたい変革意欲は大切だが、そのために民族の魂まで外国の
支配者に売り渡してしまっては、本末転倒ではないか。
いったい、何のための学問なのだ。
学問というのは、本来このように複雑で一筋縄ではいかぬ物事を、
あえて一つの論理で切り分けて、筋道立てて整理できる知力を
身につけるためにするものではないか。
 
この場合の一つの論理とは、独立自尊の大和魂 である。
建国の初心 である。
これがない、戦勝国のポチ になり下がった優等生は、実は、
戦勝国の人達からすら、上辺はともかく内心では軽蔑されている。
 
こういう古今東西普遍のの常識を社会で表立って言うことが、未だに
何となくはばかられるこの国は、独立国家と言えるのだろうか。
いや、国のステイタス以前の問題として、平成日本人の国民精神
は、独立国民のそれと言えるのだろうか。
そういうスピリット・矜恃を育む教育は、この国のどこで行われてい
るのだろうか。
ていうかそもそも、みなさん、自国の独立記念日、言えますか?
 
 

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2010/8/16(月) 午前 0:10 うまやど

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