北島 陽子の武士道講習

「9.24以来」 ☆ 恥を知る国へ!

日記

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    (承前)
 
 日本には日本独自の民主主義があったことについては、私が言う
より占領者側の大物に証言してもらった方が説得力があるだろう。
西鋭夫『国破れてマッカーサー』より、ヘンリー・L・スティムソン米
陸軍長官がポツダム宣言をトルーマン大統領に提案した際の言を
以下に引く。
 
  「日本は、我々と全く異なった精神構造を持った狂信者によって
  構成された社会ではありません。日本人は、この百年の間、
  非常に頭の切れる民族であることを十分証明しました。前例の
  ないほど短期間に、西洋文明の複雑な技術を導入しただけでは
  なく、西洋の政治・社会思想までもうまく採用してきました。
  僅かに六、七十年間で日本が達成した進歩は、歴史の中で
  もっとも驚くべき国造りの偉業であります。」
 
ただし、だからそんな相手に敬意を払って統治した、
なんて麗しいお話ではなくて。
(念のためそう断っとかないと、そんな美談かと勘違いするおめでた
いお人好しが、この平和主義の国には多すぎます。)
 
国際社会のリアリズムは、
 
  そんな恐るべき優秀な相手だからこそ、
  再び自分たちにとっての脅威(手強い競争相手)にならぬよう、
  相手の驚異的ポテンシャティの肝である
  [ 明治大帝の驚くべき国造りの偉業 ]
  を徹底破壊する教育大改造を彼らは強行した
 
であります。
 
そういうシビアな占領者に便利に使われ、日本人でありながら
日本の子弟に、
 
「8月15日革命(大日本帝国が負けて日本が「平和と民主主義の国」
に生まれ変わったこと)以前の旧日本は、
 
我々平和憲法・民主憲法を戴く新生日本人(天皇制国家のおぞまし
さを骨身にしみて学んだ戦争体験・歴史の教訓に立脚する、目覚め
たわれら。もう天皇制国家には騙されない!) とは
全く異なった精神構造を持った狂信者(忠君愛国の天皇制の奴隷。
騙されていた人々)
によって構成されたおぞましき全体主義社会でありました」
 
と、おどろおどろしい歴史認識を刷り込んできたのが、戦後日本の
教育界・教育学界を牛耳ってきた左翼知識人だった。
おぞましいのは、こういう変節漢の方ではないだろうか。彼らの大半
は、昨日まで陛下の忠良な臣民を育てる仕事に邁進しながら、
祖国が負けた途端に手のひら返しに宗旨替えして「平和と民主の
使徒」となった。
 
百歩譲って、占領下ではそうしなければ生きて来られなかったから、
というのはまだ許せる。私が一番許せないのは、七十年代八十年代
になっても占領下の処世術を見直そうとしないで鵜呑みにしてきた
同世代の教育者達だ。
 
この、敢為の精神が欠如した教育界の大勢に流されまい、抗おうと
する時、先祖から受け継いだ武家の気性(武家のスピリット、武士道)
は、決して過去の遺物ではなく、今を生き未来を切り拓く現役文化
であることを、私は身を以て感ずるのだ。
 
 
 
 明治以前の武士道もまた、 黎明期 → 鎌倉 → 南北朝 →
戦国 → 江戸 → 幕末 と生成変化してきた。
アカデミズムの世界ではともかく、我々一般国民の世界では、その
いずれを本来の武士道と定めるよりも、このように生成変化しつつ
民族の歴史と共に歩む、世界に誇れる伝統文化と考えては如何だ
ろう。過去千年間日本人のバックボーンとなり、民族の運命を切り
拓いてきた精神文化遺産なのだと。
 
 
西郷隆盛が常に曰く、
 
  吾れ先輩においては藤田東湖に服し、同輩においては橋本景岳
  (引用者註:西郷さんより七歳下、当時二十一歳。この現代なら
   さしずめ大学三、四年生の天才青年が立てた救国策が近代
   日本の基になった)
  を推す、この両人はその才器といい学問といいまた識見といい、
  吾輩のまねようとしてもまねられるものではない
 
と。その橋本景岳が、国是を定めるために会議を開くから帰国せよ
と言ってきた上司に宛てた手紙には、
 
「国是と申す者は、国家祖宗の時既に成り居り候者にて、後代子孫
に在りては、その弊を救ひ候へば宜しき義に御座候。子孫の代に
在りて、別段国是を営立すると申す例もなく、道理もなし。祖宗とても
別に深智巧慮して、御編み出しなされ候にてはこれ無く、ただ、天地
自然一定の理に御基づき遊ばされ、時勢人情を御斟酌在らせられ、
衆人の心、一同趣向致し候処を御考え合せ成され、国是御立て遊
ばされ候なり。」
 
「元来、皇国は異邦と違ひ、革命と申す乱習悪風これ無き事故、
当今と申し候ても、直ちに神武皇の御孫謀御遺烈、御格守御維持
遊ばされ候て然るべき義と存じ奉り候。」
 
「神皇の御孫謀御遺烈と申し候は、即ち人は忠義を重んじ、士は
武道を尚び候二ヶ条に御座候。これ即ち我が皇国の国是と申す者
御座候なり。」
 
 
 新渡戸博士が指摘するように、武士道にも弊害や欠点はある。
が、それは民主主義にも言えることであり、いずれも我々と後続
世代の努力でよりよいものに育ててゆけばよいではないか。
21世紀武士道の国日本を、先祖に恥じぬよい国にしよう。
 
                                    (終)       
 
 

樺太市民さま接遇記

 ブログ画面左端に「訪問者履歴」というのを見つけたのは、先週
初めか。しばらくして、お越し下さった方々のサイトへの返礼訪問を
思いつき、早速始めて二日目の先週土曜、樺太市民さまのサイト
[樺太史研究室]にお邪魔しました。
 
樺太と言えば私も、赤レンガガイド時代以来のおもいいれがあり、
ハマりました。土日に仕事の峠を越えた後、月曜日、コメントも含め
全記事一気読み。夕方には、バス停五つ下の文教堂書店で、『丸』
十月号の商業誌デビューも見届けました。
 
そして翌火曜、はたと気づく。今日、樺太市民さまは札幌にいらっ
しゃるんだよなーっ
これは、推参の一手あるのみ!
先生のブログに面会希望を投稿(8月29日コメント欄)。 詳しくは
そちらをご覧いただくとして、快く会っていただけたのです。
 
 
 とっぷり日の暮れた桑園駅前で、お互い待ち時間ゼロのドンピシャ
の出会い。
ほんの束の間の札幌観光をお楽しみいただこうと、先生をお乗せし
て車は一路西へ。東京では考えられないがらすきの広いまっすぐな
片側二車線道路を行く。中央市場エリアを抜け、円山へ。五月まで
ヤクルトレディとして毎日歩き回っていた担当地区です。庭です。
 
ここから大倉山シャンツェへご案内するはずが、つい、兵頭二十八
先生に北島陽子の名付け親になっていただいたいきさつを語るのに
夢中になり、大きく行きすぎてしまう。いっぺんに二つのことができ
ない北島であった。
ええいままよ、ここまで来てしまったらいっそ、旭山公園の方がぐっと
近い。目標変更だっ。
 
眼前180度広がる大スクリーンのような旭山公園からの夜景を
ご覧に入れ、晴れた昼間ならあちらに夕張連山、そちらに当別の山々
から増毛連峰、こちらに石狩湾が見えまーす、と黒い夜空を指し
想像力勝負で「見たつもり」になっていただく「つもり観光」炸裂。
頭の性能のよい方じゃないとたのしめません。
ライトアップされた大倉山シャンツェも見えたのでやっぱり行ってみ
たくなり、引き返しました。
 
さて、あとは一路おすしの「根室花まる」へと思ったら、暗闇から
「あのう、ここへはバスは来るんでしょうか」
と、まぬけな質問をしてきた主婦二人連れ。そりゃあ昼間は頻繁に
やって来ますけどね、こんな真っ暗で人っ子一人いない、ゲートも
閉まっている駐車場にバスが来るかい。子供のバトミントンの大会で
東京から来てるんだと。
見捨ててはおけぬので、この二人も乗っけて、結局地下鉄円山公園
駅まで戻ってやる。こうなったらさっきの「つもり観光」のつづき、
真っ暗な中を、「みなさま、左手に昼間ならよく見えますのが円山
競技場、いつぞやQちゃん高橋尚子選手が札幌マラソンで復活を
遂げた舞台でございます。そのお隣が丸山球場、右手は円山動物園
です。今年ヒグマ館ができました。そしてこちらが北海道神宮に円山
公園でございます」と、観光タクシー化する。
 
 
二人を下ろしてようやく本来の目的地、藻岩山下の「根室花まる」へ。
以前先生が札幌駅JRタワー店に100分待ちで入ったというブログ
記事においたわしやと涙して、もっとすいてるこちらにお連れしました。
 
おすしをつまみながら歓談の二時間はあっというま。夢中でしゃべ
っていて、仕舞支度にかかる店員に促されようやく店を出る始末。
おまけに私がお誘いしておきながら、先生にごちそうになる始末。
根がおしゃべりな私は、先生のお話を伺うはずが、気がつくとほと
んど自分がしゃべっていて、先生は聞き役に回っていて下さったよう
な。いやな顔一つなさらずにこやかに。うう、ご人徳ですねえ。
 
五月脱稿予定が年内脱稿予定に延び延びの、関係者待望の単行本
デビュー作も、こういうご陰徳がありますからきっと天の感ずるところ
となり(ていうか、日本人に忘れられた樺太をテーマにしておられる
時点で、英霊のご加護があります!)、さぞかし売れましょう。
 
次回は札幌にもう一人おられる「樺太資料室」コメント仲間 yum 
さんにも声をかけて札幌読者会をしましょうと提案したら、
「私の読者会というより、「樺太の会」がいいですよ」 
と、どこまでも控えめ、謙虚な樺太市民さまでした。
 
みなさまどうぞ、わが国の学界(に限らず社会的にもですが)では
日の全く当たらない樺太史研究に人生を懸けた男(私はね、こういう
サムライにぐっとくるんですよ。奥様がいらっしゃる方でなかったら
押しかけ女房になりたいくらいw)、樺太市民さまと、ソ連に全く無法
非道に強奪された日本領土樺太(南半分)にご注目を。
 
日本人でありながら樺太をサハリンなどと言うのは、
日本人でありながら竹島を独島(ドクト)と言うようなものですよ。
 

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みなさま、こんばんは。
明日の朝刊配達のため、一刻も早く寝なければならないのですが
(二時半起床ゆえ)、どうしても一言、御報告しておきたかったもんで。
 
発売されたばかりの『丸』10月号で商業誌デビューを果たされた
樺太市民さま(ポツタ゜ム宣言受諾後に始まった樺太へのソ連の
無法な侵略を寡兵よく迎え撃ち、民間人と日本領土北海道を守る
べく奮戦した日本陸軍部隊の不朽の勲をレポート)が、今夏二度目
の北海道取材旅行中と知り、急遽夕方、氏のブログに投稿して
連絡取り、札幌駅の隣駅 桑園駅まで車飛ばして夜七時、滑り込み
のドンピシャで間に合い、大倉山シャンツェ、夜景スポットの旭山公園
などご案内して、束の間の観光をお楽しみいただきました。
 
日本人までが樺太と言わずサハリンと言う(稚内市長まで!)現状
を変えるべく共に奮闘を誓い合い、お別れして参りました。
 
ブログを始めたおかげでこんな出会いにも恵まれるようになり、
毎度ながら兵頭先生に感謝!であります。
 
では、おやすみなさい。
 

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もう寝ようとしたのですが、暑くて眠れないので、こうなったらもすこし
つづきをやろう。(というわけで、本日はエントリー二本です)
 
   (承前)
 
 開国当時の日本は、人口三千万の吹けば飛ぶような極東の小国、
海千山千の国際社会の中では、起業したてのベンチャー企業のよ
うなベンチャー国家の扱いだった。
当時日本を一日も早く近代化するため洋学摂取の使命を帯びて
渡欧した留学生達は、西洋先進国の人たちから 「そのうち本物の
サルが勉強にくるかも」 などと侮りを受けからかわれながらも発憤
して猛勉強し、無理な勉強がたたって留学先で客死した人も少なく
なかった。
 
そんなポジションから出発したわが祖国だが、武家による世襲階級
社会を武士自身のイニシアティブで終わらせ、健全な能力主義社会
にしたため、誰もが 「勉強すればえらくなれるんだ!」 という
ジャパニーズ・ドリームに夢中になって、日本中にものすごい活気が
生まれた。
よく 「明治には人物が輩出した」 といわれる秘密は、このジャパニ
ーズ・ドリームと対外危機感の合体にある。その合成パワーで、
たった四十年で先進国に追いつき、五大国の一角を占めるまでに
大出世してしまった。
これはひとえに、民主化がもたらした大躍進である。
 
「アメリカに戦争で負けたおかげで民主化してもらえた」 なんて
大嘘、占領軍が命じて占領軍の優等生な左翼・リベラル知識人が
せっせと広めてきた戦時宣伝(宣撫工作)にすぎない。
大嘘の代名詞は、「昔・大本営発表 今・日教組朝日」 だ。
 
 
日本の民主化は日本人自身の手で19世紀に達成したが、時がたつ
につれせっかくの民主日本も上から腐ってきてしまっただけのこと。
ちょうど平成日本がそうであるように。
 
占領軍の優等生病な頭だと、またぞろ外国占領軍のお世話になって
ご指導いただき、このしょうもない土人国を民主化・近代化していた
だこうという、どこまでも外国頼みの発想にしかならない。
なにしろ 武士道と皇室尊崇 という 自国の歴史と伝統 を全否定
して外来思想に拝跪し、魂を外国に売り渡してしまった人々だから、
日本民族自前の伝統から変革のエネルギーを汲み出そうという
自主性・オリジナリティがゼロなのだ。
国防のみならず、自分たちの国家理念・国体観まで、外国からの
お仕着せに依存してきたのだから。
 
「戦争を反省した新生日本は、君主国なんて遅れた政体を廃して
共和国という進歩した政体になるべきだ」
 
と信じて疑わなかったセンセーがた、オピニオン・リーダー連で
あふれかえっていましたよね、この国の言論界や教育界は。
 
つい昨日まで、大学や教育現場などインテリ業界で、数を頼んで
声高に
 
    「天皇制打倒」「天皇制廃絶」「天皇の戦争責任追及」
 
を唱え、これに唱和しない者は人に非ず、戦争を反省してない軍国
主義者だ復古主義者だ反動だと、異端審問の口つきで人に踏み絵
を踏ませていた(天皇や日の丸・君が代、靖国神社などの踏み絵を、
「この、軍国主義の亡霊め!」とばかり、さも憎々しげに踏んでみせ
れば合格!)左翼知識人・左翼教師とその予備軍達は、今はどうし
ているのだろう。
旗色が悪くなれば、途端に沈黙。黙ってちゃっかり転向しているの
までいる。こんな連中が「日本の良心」づらしていたのが、
戦後(占領後) という時代なのだ。
 
 
洋魂洋才で生き延びたところで、そんな国はもはや「日本」ではないし、
そんな国民はもはや「日本人」ではない。
私はあくまで、和魂洋才で日本の運命を切り拓いた近代日本の
創業者達の大和魂 = 独立自尊精神 をリスペクトする。
そして、日本国民の税金で養われる日本の公教育の教師たる者
にも、その気構えを持ってほしいと願うのだ。
 
  (承前)
 
 日本中の志士からその見識と藩政指導力の高さで「日本第一等
の男」(横井小楠の言)と尊敬を集めていた、水戸学の巨星・藤田
東湖。
西郷隆盛も吉田松陰も横井小楠も、若い頃水戸の学風を慕って
水戸に遊学し大きな感化を受けている。小楠曰く、「当時諸藩中に
て虎之助(東湖の通称)ほどの男はすくなかるべし」と。
 
そういう英傑を、「国民を戦争に動員した忠君愛国思想の源流」
という「罪名」で頭から全否定し、
日本民主主義の源流である水戸学を、「おぞましくてきなくさい
危険思想」と、蛇蝎の如く忌み嫌って抹殺し、
「戦争に負けてアメリカさんに来てもらったおかげで、民主主義に
なれてよかったです、平和憲法が出来てよかったです、平和と民主
主義万歳!」
と教え込んできたのが戦後民主主義教育(私にいわせれば占領後
教育)であり、左翼・進歩的文化人(占領軍翼賛会)なのだ。
 
 
私は日教組幹部候補生学校みたいな大学の教育学研究室で、
戦時中の大政翼賛会政治がいかにおぞましいものだったかを叩き
込まれた。それはそれで一定の説得力があり、今もそこを否定する
つもりはない。
だが、日教組サティアンでは、
「戦後の教育だって占領軍の大政翼賛会じゃないか」という素朴な
疑問が、もう絶対にあってはならない考え、なのだ。
この思考・言論統制には見ざる言わざる聞かざるで(というか、
そんな疑問すら感じたことのない、いわれたことを全部信じる、
自分の頭で考えない者が圧倒的多数派だが)、
上から言われるがままに、
「昔の人は、忠君愛国教育で、自分というものを持たない、天皇制の
奴隷でした」
と、昔の人を見下す「平和と民主の進歩的教師」になっていく。
 
 
こういう精神態度が自国の過去に真摯に向き合う姿勢だとは、
私は全く思わない。
こういう教育でまともな民主主義国が作れるとも、全く思わない。
また、こういう卑屈な姿勢でアメリカと真の友となれるとも、
全く思わない。
逆である。
こういう姑息・欺瞞・怯懦・卑劣・幼稚な精神態度を排する教育から
しか、まともな民主主義国は作れないし、アメリカとの対等な同盟
関係も築けないと考えている。
(鳩・菅ら民主党政権の、いかにも占領後教育育ちな、他国に媚び
へつらい主体性を放棄した歴史認識とは、真っ向から対立する。)
 
 
だからこそ、武士道をリニューアルするしかないと思うのだ。
そのために、前回武士道が大リニューアルされた百五十年前の
父祖の経験に学んでいるのだ。
 
あの時は、全ては 「万国対峙」 という国家目標のためだった。
鎖国の平和を解かれて恐るべき弱肉強食の野蛮な世界に船出を
強いられた日本人が生き抜いてゆかねばならなかった現実は、
無理が通れば道理が引っ込む 「戦争に強い国(西洋列強)の天下、
戦争に弱い国の悲惨」 だった。
 
福沢諭吉は『文明論の概略』で、開国を迫る列強の真意をこう要約
した。
彼ら毛唐の本音は、「俺たちと商売せよ、さもなくば殺す」だと。
「何ぞその言の美にして、その事の醜なるや。言行齟齬するの甚だ
しきものというべし。この際の形容の除きてその事実のみを直言す
れば、我と商売せざる者はこれを殺すというに過ぎず。」
 
その投げ込まれた現実の過酷さを自覚して、民族の総力を挙げて
「万国対峙」の課題に取り組むために、旧来の陋習を打破して、
天皇陛下の下に一致団結してオールジャパン体制を作ったのだ。
 
 
日教組サティアンの歴史教育ゼミでは、先人達が置かれたそういう
過酷な状況についての目配りは一切ない。そういう状況認識ゼロの
真空地帯で、
「戦前の教育は、天皇の言いなりになり天皇のために死ねる国民
を作る、富国強兵の国策に沿ったおぞましき教育だった。
二度とそんな、人間を否定するような教育があってはならない。
教え子を再び戦場に送るな!」
と気勢を上げる、そんな世界だった。
 
「富国強兵 = 悪 (アジア侵略の始まりだから)」
というのが、もう疑う余地のあるわけない当然の前提として物事が
語られる世界だった。
だが私は、「じゃあ朝鮮みたいに貧国弱兵のままだったらどうなのよ」
と、内心思わずにはおれなかった。
しかし、何度も言うように、そういう考え方は 「あってはならない」
世界の空気の、同調圧力をはね返せなかった。
 
 
それは、戦時中に 「この戦争は負けだ」 とは、口が裂けても人前
では言えなかったのとひどく似ている気がした。
私は、自分たちの正しさを信じて疑わず、熱狂的に
教え子を再び戦場に送るな!」 のスローガンをうたう先輩・後輩・
同輩学生たちの群れを見て、
 
  この人方、四十年早く生まれてたら絶対、「朕が忠良なる臣子」
  として、教え子を戦場に送って送って送りまくってたろうなあ。
  陸士・海兵・予科練合格者数を競ってただろうなあ。
 
と、思わずにはいられなかった。
 

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