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川越市役所から西の札の辻にかけてはかつて「本町(ほんまち)」と呼ばれた。古くは「本宿」ともいわれて、川越草分けといわれる人たちが住み、川越市街の礎はこの本町あたりに形成された集落からだと推察されている。もっともその頃は家屋が密集しているわけでなく、町というよりもほぼ農村的景観だったらしい。 現在の市役所南側駐車場のところにあった川越町役場から撮影したもの。板葺きの家屋もあるが、家並みが揃ってりぱな景観である。左側に「牛鳥洋食」と看板を掲げているのが「吉寅」 右側中央あたりには川越の地図などを発行した進愛舎活版所があった。 右端上部に学校の校舎のような細長い屋根が見えるが、元の川越米穀外三品取引所の建物で今も残っている。その向こうの大屋根が小間物商近江屋で、背後に広済寺の屋根も見える。 通りを行き来する人がまばらなのは朝早いのか、昼下がりなのか・・こうもり傘を差している人がいることから夏の情景らしい。おそらくは大正元年の夏の撮影だろう。 左角の建物は100年以上前の建築らしい。大正元年の陸軍特別大演習時には日本赤十字社埼玉支部出張所となった。 朝ドラ「つばさ」のオープニングにさりげなく映っている建物である。 |
川越の史跡名勝





川越米穀外取引所に興味あります。大家さんは喜多町のA家でしょうか。置屋になっている長い長屋ですよね。明治の大火の後?それとも
焼けてないのか・・・。
[ koedo ]
2009/5/3(日) 午後 11:18
koedさん●川越大火の記録「川越町焼失の図」を見ると、このあたりも焼けていますから大火後の建物だと思います。この図には路地の記載が無いので、どうやら大火後に出来た道らしいですよ。
どう見ても長屋で、取引所の使われた建物には見えないのですが・・番地は一致するんです。取引所は10年ほどしか続かず明治35年には解散してしまいますが、頑丈な建物だったことから物産斡旋所や私立女学校に使われたそうです。
この建物の間取りが気になってます。
2009/5/4(月) 午前 1:40
最初の画像の右側の緑の建物が気になりメモしました!
何か商売されているのでしょうか?
[ keiwaxx ]
2009/5/4(月) 午前 10:29