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アルバムに貼られた色褪せたこの写真、裏側に「昭和十一年 川越西町駅前」の鉛筆書きがなかったら、いったいどこを撮影したものかわからないに違いない。
現在のJR・東武東上線川越駅東口の在りし日の景観である。
駅舎前から撮影したもので、右端が菓子煙草商で看板に「川越名物いもせんべい」と書かれている。
その隣が昭和4年にできた埼玉・菖蒲・上尾の各バス会社による共同発着所。熊谷に本社を置く埼玉自動車はそれまでは川越市駅前に発着所があったが、西町駅前に移転するとともにバス便を増発し、新田町駅(現本川越駅)と西町駅での電車連絡を容易にさせ、川島・越生・坂戸エリアからの乗客の便宜を図った。
このころの東上線は日中はほぼ30分間隔の運転(川越市〜池袋)で、すべて各駅停車。朝夕に急行が2往復し、そのうち1往復は川越西町〜池袋間ノンストップ運転で所要時間は35分であった。
写真ではわかりずらいが、当時の駅前はまだ繁華でなく、低層建築ばかりで寂しい景観だった。駅前から市中心部に通じる西町通り(現クレアモール)は飲食店や食料品店などがまばらに並んで、近所の人が日常の買い物を済ませるところだった。
参考までに同年代の熊谷と大宮駅前の写真を。
▲熊谷駅前
▲大宮駅前 中山道交差点から駅舎(突き当たり)を望んだもの。
熊谷・大宮とも鉄道幹線沿いだったこともあって、駅前の景観は川越よりも近代的だった。
■参考資料
大日本職業別明細図川越市 昭和7年
川越商工人名録昭和9年版
東上線電車時刻表 昭和10年12月改正
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一枚の写真






芋せんべいの看板、昔はあったような気が・・・
2010/6/28(月) 午前 7:44
おはようございます。子供の頃近所のおばあちゃんが「西駅」って普通に使っていました。西川越駅の事?なんて思ってました。熊谷が以外に都会なのがちょっとびっくり。
2010/6/28(月) 午前 8:07
熊谷の戦前の姿を見る機会がほとんど無いので、この写真は貴重ですね。空襲で焼失しているのが残念です。
[ har*kko*9*3 ]
2010/6/28(月) 午前 10:24
昭和11年っていうと・・・母上様が2歳だな。。。
あっしは影も形もござんせん。。。
戦争を超えて写真が残っているって凄いですね^−^
2010/6/28(月) 午後 10:43
高校は熊谷にあったので空襲があったとはいえ
何となく面影があります。
人間の記憶は曖昧なので
ここでの記録を見ると
記録を残すことの重要性を再認識します。
[ きんや ]
2010/6/28(月) 午後 10:46
ファンファンさん●再開発前の駅前にあったのは、不二家と三松堂と銀行とパチンコ屋くらいしか思い出せません・・・子どもの頃には甘栗屋かせありました。
2010/6/29(火) 午前 0:49
yoshiさん●脇田町に親類がいたことがあって、親たちは「西町んち」とよく言ってましたよ。
戦前の熊谷には川越には無いモダンなビルがあったりしました。電気館という映画館の古い写真を見ると、川越の映画館よりもりっぱでりっぱで・・・
2010/6/29(火) 午前 0:52
har*koko*9*3さん●熊谷の古い町並みを写した写真は他にもありますから、いずれの機会にまた紹介しますね。
2010/6/29(火) 午前 0:54
かずみんさん●かずみんさんのお母さんは外国へどんどんでかけたりして行動的ですよね。お元気でなによりですよ。うちの母親は11年なんです。クレアモールへ買い物へでかけて帰宅するともう疲れ果ててます。「クレアモールにはあたしたちが行くような店がほとんど無くなってしまったね」と文句垂れてます。
2010/6/29(火) 午前 0:58
きんやさん●熊谷は空襲を受けましたが、駅前は焼け残って画像の木造三階の建物は昭和50年頃まであったらしいですよ。駅前広場拡張で取り壊されたようです。熊谷は地方都市の雰囲気があってとても好きな町です。
おっしゃるとおり人の記憶は曖昧ですよね。お年寄りに昔の話を聞くと、ほんとうかなと思うことがよくあります。裏づけをとることがまた困難ですし、昔の話を聞くことはたいへん用心しなくてはといつも思います。中学生のころに夏休みの課題で、お年寄りに川越の昔のことを聞いたことがありましたが、今になっていろいろ調べるとかなり記憶違いのことが多かったです。
2010/6/29(火) 午前 1:04