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■埼玉で最初の路線バス?
越生町にあった西武自動車株式会社「時間及賃金表」です。地元有志によって設立され、大正2年10月に越生と川越を結ぶ乗合自動車(路線バス)を開業しました。バスといっても現在のものとは大違いで、せいぜい6人くらいが乗れる自動車でした。小型二つ折りの時間表は、ひらくと運賃と時刻が掲載されています。越生ー川越間1日6往復の運行で、注意書きに東京上野で開催されていた大正博覧会に合わせた改正とあることから、博覧会見物客の便宜を図ったものなのでしょう。
運行ルートは越生ー毛呂ー坂戸ー鯨井(現川越市内)ー川越でした。川越でのバス終点位置は不明です。乗客の要望があれば電車駅(川越電車久保町駅)まで延長運転したそうなので、町中心部か川越停車場(現本川越駅)だったのではないでしょうか。この会社はいつまで存続したのかは不明です。大正5年の営業報告書を見ると経営内容は苦しかったようです。大正5年当時は3台の車を所有していました。
「越生の歴史近代編(2000年)」には、越生自動車設立よりもわずかに早く川越町で、自動車会社設立の動きがあり、川越ー東京間の乗合自動車路線が認可されたものの本当に運行されたか不明であり、また埼玉県最初のバス路線は大正5年が最初とされているが、編纂時点ではこの越生ー川越間が最古の路線バスであると締め括ってあります。
「埼玉事始(東京新聞浦和支局/さきたま出版会/1987年)」には、埼玉県最初の路線バスは大正5年の鳩ヶ谷ー川口間だといわれているとあります。ただしこのことに関して確証となる資料はないと述べた上で「バス事業は各社が合併を繰り返しているので確かなことは・・」との埼玉陸運事務所のコメントを掲載してあるのですが、現在[埼玉県公式HPhttp://www.pref.saitama.lg.jp/site/bus-rekisi]では、鳩ヶ谷ー川口間が埼玉県最初の路線バスだと紹介されています。
【参考資料】
越生の歴史近代編 2000年
西武自動車営業報告書 大正5年
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川越の資料




越生ー川越間ですか?
越生の方が人が多かったんですかねぇ?
東松山方面は百穴が残ってるだけあって、過疎地だったのでしょうか?
2011/7/25(月) 午後 10:16
越生のまちに、昔のバスの記念碑がありますね!
2011/7/25(月) 午後 11:25
生越は今も自家用車がないと不便ですよね。
西武バスに歴史は古いのですね。
そういえば、川越駅→南大塚行のバスが出るようになりましたね。
我が実家はバスの弁が便利になりました。
2011/7/26(火) 午前 11:46
ファンファンさん●川越のほうがダントツで人口は多かったです。越生はまだ鉄道もありませんでしたし、おらが町を川越と結んで便利にして発展させたいという目論みがあったんじゃないでしょうかね。当時の川越は県庁所在地ではないものの、人口は埼玉最大であり、県下地随一の殷賑をきわめた都会でした。松山は当時はまだ鉄道がありませんでしたけど、比企郡の中心として郡役所もありにぎわっていました。
2011/7/28(木) 午前 1:18
埼玉花だわりさん●えっ、そんな記念碑があるんですか!知りませんでした。
2011/7/28(木) 午前 1:19
あけみさん●今ある西武バスとは違う会社だったんですよ。
川越駅ー南大塚駅間のバスルートできましたよね。でも一度くらいしか目撃したことないんです。朝夕は新狭山駅までも運転してますよ。
2011/7/28(木) 午前 1:22