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★真冬の特別企画・リクエストにお応えして★
■ありし日の川越風景 1976年と2012年の定点観測
1976年の川越画像を紹介した過去記事を読んだブロ友フーバー氏からの「他にも当時の写真があったらぜひ」とのリクエストにバッチリお応え特別企画です。
と言うものの・・1976年の写真はこれまでに何枚か紹介しているんですが、それがいったいいつで書庫のどこにあるかすっかり忘れているので、これから紹介する写真は重複しているかもしれません。その点ご了承くださいませ。特別企画ということで現在との対比にしました。
●川越一番街(蔵造りの通り)
まだ観光地化がスタートしていない川越一番街の情景です。川越の中心街としての地位を長く保ってきましたが、衰退の陰りが兆してきたのは昭和30年代前半頃からでしょうか。その頃一番街に進出した衣料チェーンの長崎屋は、短期間で西町通り(現クレアモール)へ移転してしまいます。1976年当時は蔵造りの町並みの保存をめぐっていろいろ模索していた時期だと思います。この年の秋に蔵造り資料館がオープン、前後して民芸品店も開業しましたが、町並みが整備されて観光客が増加するのはまだ先のことでした。
●立門前商店街
蓮馨寺の門前商店街として古くから繁華でした。1976年当時はまだ建物が連続して建ち並び、様々な地元相手の店がありました。中央アーチの「立門前通」の立の文字が欠落して、向こう側の「映」の文字が見えています。アーチ上部の赤いデザインは映画会社「大映」のマーク。昭和30年代はじめに開館した洋画専門館「川越セントラル劇場」は、ほどなく「川越大映」と改名。映画の斜陽で昭和40年代前半には閉館してしまいました。それから10年近く経っても、看板だけは残っていたようです。
●川越銀座通り(現大正浪漫夢通り)
太陽の光が当たっていたのか焼いたら赤みを帯びていました。その昔は「いのはな町」 「銀座通り」と改称されたのは戦後のアーケード設置のときなのでしょうか。埼玉県最初のアーケード街だったはずです。小学校の授業で使用した社会科副読本「かわごえ」に、昭和30年代頃の銀座通りの写真が掲載されていますが、大勢の人が行き交ってにぎやかです。
昨今は昭和レトロが持てはやされていますから、アーケード街のままであったらそういう意味で評価されたかもしれません。
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川越の資料



ありがとうございます
携帯からなので全部見られません。後でまた来ますな
2012/2/5(日) 午前 0:33
フーバーどの●携帯から見たのですか!素早い 蔵造りの通り以外はあまりおもしろくない場所かもしれません。地元の人なら懐かしいかもしれませんが。
2012/2/5(日) 午前 0:50
川越在住です。懐かしく見ましたが。
特に自転車のちびっ子が、セミドロップの自転車ですね。
僕も乗っておりました。どこへ行くのも自転車でした。
2012/2/5(日) 午前 6:13
PCから来ました!こうやって自分の街の移り変わりが写真で比べられるって良いですね
これは資料ととしても良いと思います
2012/2/5(日) 午前 7:05
初めまして。
昔の川越ってこんなだったのですね、最近の川越しか知らないものとしては驚きです。
とても、すばらしい資料だと思います。
[ kiz ]
2012/2/5(日) 午前 10:34
ファンファンさん●川越在住の方いらっしゃいませー。この当時、自分は派手なウインカー付サイクリング車乗っていました。川越街道をよそ見しながら走っていて、うなぎの小川藤さん前に停めてあった自転車におもいっきり体当たりしたのがこの頃です。
どこへでも自転車でしたね。上尾水上公園や上江橋、上福岡とか行ったことありますよ。
2012/2/5(日) 午後 1:33
gios1948さん●30年も経つといかに変貌するか・・もうびっくりです。高崎の戦前の古い写真もあるんでいつかアップしますね。
2012/2/5(日) 午後 1:34
kizさん●こちらこそはじめまして。川越はかつては市役所エリアが中心でしたけど、だんだん駅の方へ中心軸が移動した町です。掲載画像は少しづつ寂れはじめた頃ですが、まだ昔からの商売や建物がたくさん残っていました。
夏休みの自由研究で撮った10数枚の写真が、時を経たらそれなりに貴重さを増してきてびっくりです。ただネガをしまった場所がわからなくなってしまって・・
2012/2/5(日) 午後 1:40
30年前を思い出すと自分の家の周りも大きく変わったなって思いますね。田んぼが大きく減りました
2012/2/5(日) 午後 3:04
1976年前と言えば未だ仙波小に通っている頃で、うちの近所には鋳物工場が有りました。時代の移り変わりを感じさせる写真ですね。
小学校四年生頃に社会科で「自分の町を知る」という趣旨の授業がありました。視聴覚室で映像を見たのですが、蔵造りの町に生きる人たちや菓子屋横町の職人、皆一様に後継者不足で嘆いていたのが印象に残ります。
「跡継ぎも居ないし、町も活気を失っていくばかり、いったいこれからどうしたものやら・・・」と言う内容に小学生ながら気分が落ち込んだ物です。あれから30年以上経ち、観光業で見事復興を果たした川越を見ると感慨深い物がありますね。
[ no-mean ]
2012/2/5(日) 午後 10:07
アーケードの屋根、いつの間にかなくなっちゃったんですね。
懐かしいです。
市民会館の帰りには寄り道しました。
2012/2/5(日) 午後 10:23
あのアーケードの致命的な欠点は2階が使えないことです。
開閉はできましたが地盤沈下とともに
暗さの象徴にもなっていました。
生き残っている全国のアーケードは二階も使え
ドームも明るいですよね。
[ きんや ]
2012/2/6(月) 午前 0:29
貴重なお写真ですね。
川越の今昔物語・・・・・大変勉強になります。
昔の名残も残っていていい感じですね。ポチ。
2012/2/6(月) 午前 9:24
うんうん、昔の一番街ってあんなにごちゃごちゃした感じだったんですよね。“ごゃごちゃ…”でも今とは全く違い、生活感あふれる光景だったんですね。
あと、立門前、人も車もあまりと通らない、建物も歯が抜けたようにところどころ空地、そんな今から思うと夢のような光景。
いや〜川越もずいぶんかわtってきているんですね。
[ akiaki ]
2012/2/6(月) 午後 1:47
gios1948さん●もしかしたら川越より高崎のほうが町の変貌が激しいかもしれませんね。
2012/2/7(火) 午前 0:53
no-menさん●自分たちの頃にはそういう趣旨の授業は無かったです。小学生向けに後継者問題などはりアルで深い内容だったんですね。
観光地も飽きられてしまう場合もありますし、これから先どうなっていくのでしょうね。
2012/2/7(火) 午前 0:58
あけみさん●銀座通りの吉田謙受堂にはよく立ち読み(笑)に来ました。あと今思い出したのはフランスベッドの店があったことです。
2012/2/7(火) 午前 1:00
きんやさん●そういえば地方の大きい町などのアーケード街は天井がもっと高いものが多いですね。銀座通りは低いアーケードだったんですね、たしかに暗い印象がありました。
2012/2/7(火) 午前 1:04
shinさん●30年も経つと町の雰囲気は大きく変化してしまうことをつくづく感じます。歳月って・・恐ろしいですねー
2012/2/7(火) 午前 1:05
akiakiさん●看板が林立して、店先に商品があふれている景観はまさに生活感があふれていますよね。観光地になったといってもその町の生活感が消滅してしまったら魅力は無くなってしまうように思います。一番街エリアはこれから先、このことが問題になってくるんじゃないかと思います。
写真を見ると立門前の衰退が激しいことを感じます。銀座通りも最近歯抜け状態が進んでいますね。
ほんと変っていきますよね。
2012/2/7(火) 午前 1:10