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▲2012年 ▼1965年前後
参考資料用に戴いた写真です。撮影者は不明。
1965年(昭和40年)前後撮影と推定される川越一番街の写真です。フカゼンさんの看板は今も昔も変らないですね。理容店銀巴里のところは、これより以前昭和30年頃の写真を見ると「サエグサ糸店」になっています。銀巴里の隣が太陽堂書店、自慢焼き富士屋と続くのは今と同じ。でも富士屋さんがこの当時「北京風中華料理」の看板を掲げています。現在秩父味噌店になっているところが建材会社。蔵造り資料館はこの当時すでに空家だったのでしょうか。
このころは西町商店街(現クレアモール)がにぎやかになりだしていて、一番街はどこか閑散とした雰囲気が漂っています。 |
川越の資料





人の流れが一番街から西町へ移行していた時期なんでしょうか。
駅を中心とした人の流れになるのは当然のことなんですね。
2012/5/1(火) 午後 9:18
当時は電線も他のエリア同様つぎはぎ状態だったんですね。
[ keiwaxx ]
2012/5/1(火) 午後 9:36
クレアモールだか分かりませんがかなり人通りの多い通りがありました。
5時位だったので下校生などもいましたが人の多さにびっくりしました
2012/5/2(水) 午前 2:47
電柱や車や信号などで今と昔の差はお見受けできますが、建物がほとんどそのままなのは本当に素晴らしいです。昨日出没しました。やっぱり天気の日がいいですね♪
[ しゅん ]
2012/5/2(水) 午後 11:44
ヨッシーさん●川越は駅が町外れに作られたので、液周辺がにぎやかになるにつれて繁華街が移動しました。白黒写真の頃は一番街からは丸広も移転して、どんどん変化しはじめた頃だと思います。
2012/5/3(木) 午前 11:41
keiwaxxさん●木の電柱ですよね。電線があるため川越まつりの山車の運行はたいへんだったようです。
2012/5/3(木) 午前 11:42
gios1948さん●それはきっとクレアモールですよ。都内の友人が来たときたくさんの人が歩いているのを見て「今日は祭り?」と言われたことあります(笑)
2012/5/3(木) 午前 11:44
しゅんさん●一番街がずっと川越の中心街だったら蔵造りは残らなかったと思います。どんどんビルになってしまったでしょうね。表は改装してしまってもじつは蔵造りという建物がまだいくつかありますよ。
最近は雨が多いですよね。せっかく小暇があるので古い町並みエリアへ行こうと思うと雨なんですよ・・・
2012/5/3(木) 午前 11:48
やっぱりあそこですか。パチンコ店に偵察に入りましたがイマイチでした('A`)
なんであの通りはあんなに人が多いんですかね?お店は確かに沢山ありましたが
2012/5/3(木) 午後 0:16
gios1948さん●あひょこどす。パチンコ偵察もされていとはさすがですな。川越は最近郊外に巨大パチンコ屋がまた開店したようです。
2012/5/4(金) 午後 8:20