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■才媛女学生
大正時代の川越高等女学校の生徒さんです。
名前は仮名にしときましょうか。ふみえさんといいます。
この写真は大正11年に東京朝日新聞の附録である東京朝日グラフィック才媛号に掲載されたもの。
茨城・栃木・群馬・埼玉の才媛女学生がずらり紹介されているのです。才媛ということで美貌度は関係なしですが、ふみえさんとても愛想よさそうな表情しています。他の顔写真をずっと見ていくと中にはアラッ?という方もおりますので、才色兼備のふみえさんは卒業後に縁談が降るくらいあったんじゃないでしょうか。
ふみえさんの消息がでてないものかと、川越高女の「会報」をめくってみたのですが、探すのがたいへんなのでやめました(笑) 同窓会が戦前に毎年発行していたもので、卒業生の消息頁がたっぷりあるのです。全員が掲載されているわけではなく、同窓会事務所が葉書を出して問い合わせたり、ウワサの範囲での消息を載せていたようです。
読んでみるとなかなかおもしろかったりします。
「○子様・・猪鼻町の○様へ興し入れなさいました。いつお目にかかっても快活な方でございますの、ふたりしてフロシキもパラソルも放り出し走りたいほど」
「○子様・・どこかにお嫁ぎのようですわネ、学生時代のように勇敢になぜ知らせてくれないんでせう。あたしの調べの行きと届かぬのを棚にあげて、うらんぢゃあ悪いかしら?」
「麗人のほまれ高かった○子さま、どんなにお美しいオクさまにおなりのことでせう。KOボーイ出のとてもスマートなハズよ。ホ(ハ)ネムーンは湯河原だったのよ。これバラすと叱られるのよネ」
女学生色ムンムンな文体で厭きません。
そういえば昭和のはじめ頃の川越高女の生徒に、卒業後に男装の麗人川島芳子の秘書だかに内定したと報道された方がいるのですが、実際に満州へ行って秘書になったかは定かでありません。
▲大正はじめの川越高等女学校
グラフィック才媛号にはもうひとり川越高女の女学生が載っていますが、紹介はまたいずれ。
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川越の資料




