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川越の四季
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私もカメラをもって行ったことがあります、このあたり。 観光客がぞろぞろ…のほかの場所とはまったく違う一角なんですよね。けっこう独特の味わいがある光景かな。この雨が降るとますあす印象的。、
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[ akiaki ]
2014/6/13(金) 午後 0:22
雨の路地裏・・・・・ 味があって良いですね♪ しっとりとした色合いも素敵です♪ ゆっくりと散策も良いですよね♪ポチ
2014/6/13(金) 午後 1:55
この辺、市役所のすぐ近くなのになんだか寂れているんですよね。 何か曰くのある一帯なのでしょうか? (実家の近くだと、新宿北交差点の脇、川越ビジネスホテルと、その道を挟んで反対側の、昔家具屋さんとかが有った周辺のような) そういう歴史を調べてみるのもまたおもしろいかもしれません。 それにしてもこの風景、朽ち果てる美学と言うか何というか・・・趣があります。
[ no-mean ]
2014/6/13(金) 午後 3:21
住んでいた三十数年前から時々ここを通り 数年前に同じ様な画像を僕の備忘録にもアップした記憶があります。 かつての風俗街だと認識し 古い人に聞いたこともありますが 赤線ではなかったそうです? 赤線は喜多院裏側だと教えてもらいました。
[ きんや ]
2014/6/14(土) 午前 1:18
akiakiさん●一番街からもすぐのところですが、観光客はあまり来ないところですよね。でもたまに通るとカメラ持った人がいたりします。観光じゃなくて川越の景色を撮影に訪れた方たちなんだなと思います。 雨の日はわびしさがつのる場所ですね。
2014/6/15(日) 午後 8:48
shinさん●雨の日にちょっと回り道して通ってみました。歩く人もまばらで樋からの雨だれの音がとてもよかったですよ。
2014/6/15(日) 午後 8:51
no-meanさん●この路地はかつて芸者さんのいた置屋の集まったところでした。置屋が廃業したあと小料理店やバーなどになりましたが、今は路地入口の看板に名残を留めるだけです。数年前まであった店には私の父親も会合の流れでよく行っていました。 これだけ空き地と廃屋が多くなるとこの路地の景観の存在もそんな長いことではないように思います。でも画像は載せませんでしたが、大きい二階建ての長屋造りはところどころ修復されていました。 北交差点のところはよく知りませんが、かつて交通事故が多かったからですかね・・・聞くのもいやな事故の話を聞いたことがありました。今は交差点が改良されたようですが。
2014/6/15(日) 午後 9:08
きんやさん●このあたりのことは川越商工会議所の75年史&100年史に記述があるんですが、ちょっとわかりずらいです。芸妓置屋ができて、それから待合が混在してきたように書かれてあります。遊女がいた家はこのあたりから裁判所裏手にかけてのエリアと蓮馨寺新道エリアで、大正末期頃に喜多院西側に集団移転したようです。 画像の路地には明治26年に米穀取引所ができて、それが無くなると女学校や物産陳列所ができました。星野女子の前身もこの近くにあったようです。置屋ができたのはそれ以降のようですから明治後期頃でしょうか。手元にこの路地の一部を撮影した明治の写真があるのですが、平屋で石を置いた板屋根家屋ばかりなのです。 喜多院近くの赤線跡もほとんど当時の建物は無くなってしまいまし
2014/6/15(日) 午後 9:22
R254さん、新宿北交差点(川越ビジネスホテル周辺)ですが、実は私も確かめたわけではなく、何人かから聞いた話なので信憑性は・・・ 川越ビジネスホテルから仙波小の方を向き、道を挟んで反対側は江戸時代に処刑場があったらしいです。 そういう穢れた土地だったせいか、あそこはそれなりに広い敷地で、家具屋さんなど今までに何回も店が出ていましたがことごとくつぶれています。 今では細かく分割されて住宅が建っているようですね。 北交差点での交通事故、自分も聞いたことがあります。 痛ましい出来事ですがそれ以上に、小学校の頃、剣道の稽古で砂町まで行く途中通行していたので他人事とは思えません。
2014/6/17(火) 午後 1:35
no-meanさん●処刑場があったことは聞いたことが無いの手ですが、もしかすると母塚・父塚など墳墓があるからかもしれませんね。母塚の境内に鹿見塚の碑がありますが、鹿見塚というのは川越大橋のあたりにあって東上線敷設時に取り崩されたとなにかで読んだことがあります。「仙波の郷土史(岸伝平)」だったかな? ホテルのところはかつてミツバ家具センターで昭和49年頃に焼けました。火災後に焦げ臭い臭いが残る店舗で焦げたり水をかぶった家具を格安で売り出したのを覚えています。その後しばらくしてディスカウントスーパーのような店になりましたがたいした品は売ってなかったです。取り壊してホテルが建ったのはいつ頃だったか・・・
2014/6/22(日) 午前 11:40
2014/7/31朝日新聞、埼玉版にこの路地特集がありました。 弁天横丁と書いてありましたがそう呼ばれてるいるのですか? 「川越蔵の会」が中心になって保存活動をしているとの記事でした。 長屋に入居した染織工房の山本さんが顔つきで取り上げられています。
2014/8/2(土) 午前 0:29
きんやさん●昨日、図書館に寄って新聞記事を読んできました。保存活動がされているとは知りませんでした。長屋の一部が修復されているのも活動の成果なんでしょうね。 今でも私の父親は弁天横丁と言ったりします。この近くに桜横丁がありますが、私は長いこと弁天横丁の異名と勘違いしていました。昭和60年頃に撮影した写真を見ると八百屋とかあるんですが、今は駐車場になっています。
2014/8/3(日) 午後 10:06
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私もカメラをもって行ったことがあります、このあたり。
観光客がぞろぞろ…のほかの場所とはまったく違う一角なんですよね。けっこう独特の味わいがある光景かな。この雨が降るとますあす印象的。、
[ akiaki ]
2014/6/13(金) 午後 0:22
雨の路地裏・・・・・
味があって良いですね♪
しっとりとした色合いも素敵です♪
ゆっくりと散策も良いですよね♪ポチ
2014/6/13(金) 午後 1:55
この辺、市役所のすぐ近くなのになんだか寂れているんですよね。
何か曰くのある一帯なのでしょうか?
(実家の近くだと、新宿北交差点の脇、川越ビジネスホテルと、その道を挟んで反対側の、昔家具屋さんとかが有った周辺のような)
そういう歴史を調べてみるのもまたおもしろいかもしれません。
それにしてもこの風景、朽ち果てる美学と言うか何というか・・・趣があります。
[ no-mean ]
2014/6/13(金) 午後 3:21
住んでいた三十数年前から時々ここを通り
数年前に同じ様な画像を僕の備忘録にもアップした記憶があります。
かつての風俗街だと認識し
古い人に聞いたこともありますが
赤線ではなかったそうです?
赤線は喜多院裏側だと教えてもらいました。
[ きんや ]
2014/6/14(土) 午前 1:18
akiakiさん●一番街からもすぐのところですが、観光客はあまり来ないところですよね。でもたまに通るとカメラ持った人がいたりします。観光じゃなくて川越の景色を撮影に訪れた方たちなんだなと思います。
雨の日はわびしさがつのる場所ですね。
2014/6/15(日) 午後 8:48
shinさん●雨の日にちょっと回り道して通ってみました。歩く人もまばらで樋からの雨だれの音がとてもよかったですよ。
2014/6/15(日) 午後 8:51
no-meanさん●この路地はかつて芸者さんのいた置屋の集まったところでした。置屋が廃業したあと小料理店やバーなどになりましたが、今は路地入口の看板に名残を留めるだけです。数年前まであった店には私の父親も会合の流れでよく行っていました。
これだけ空き地と廃屋が多くなるとこの路地の景観の存在もそんな長いことではないように思います。でも画像は載せませんでしたが、大きい二階建ての長屋造りはところどころ修復されていました。
北交差点のところはよく知りませんが、かつて交通事故が多かったからですかね・・・聞くのもいやな事故の話を聞いたことがありました。今は交差点が改良されたようですが。
2014/6/15(日) 午後 9:08
きんやさん●このあたりのことは川越商工会議所の75年史&100年史に記述があるんですが、ちょっとわかりずらいです。芸妓置屋ができて、それから待合が混在してきたように書かれてあります。遊女がいた家はこのあたりから裁判所裏手にかけてのエリアと蓮馨寺新道エリアで、大正末期頃に喜多院西側に集団移転したようです。
画像の路地には明治26年に米穀取引所ができて、それが無くなると女学校や物産陳列所ができました。星野女子の前身もこの近くにあったようです。置屋ができたのはそれ以降のようですから明治後期頃でしょうか。手元にこの路地の一部を撮影した明治の写真があるのですが、平屋で石を置いた板屋根家屋ばかりなのです。
喜多院近くの赤線跡もほとんど当時の建物は無くなってしまいまし
2014/6/15(日) 午後 9:22
R254さん、新宿北交差点(川越ビジネスホテル周辺)ですが、実は私も確かめたわけではなく、何人かから聞いた話なので信憑性は・・・
川越ビジネスホテルから仙波小の方を向き、道を挟んで反対側は江戸時代に処刑場があったらしいです。
そういう穢れた土地だったせいか、あそこはそれなりに広い敷地で、家具屋さんなど今までに何回も店が出ていましたがことごとくつぶれています。
今では細かく分割されて住宅が建っているようですね。
北交差点での交通事故、自分も聞いたことがあります。
痛ましい出来事ですがそれ以上に、小学校の頃、剣道の稽古で砂町まで行く途中通行していたので他人事とは思えません。
[ no-mean ]
2014/6/17(火) 午後 1:35
no-meanさん●処刑場があったことは聞いたことが無いの手ですが、もしかすると母塚・父塚など墳墓があるからかもしれませんね。母塚の境内に鹿見塚の碑がありますが、鹿見塚というのは川越大橋のあたりにあって東上線敷設時に取り崩されたとなにかで読んだことがあります。「仙波の郷土史(岸伝平)」だったかな?
ホテルのところはかつてミツバ家具センターで昭和49年頃に焼けました。火災後に焦げ臭い臭いが残る店舗で焦げたり水をかぶった家具を格安で売り出したのを覚えています。その後しばらくしてディスカウントスーパーのような店になりましたがたいした品は売ってなかったです。取り壊してホテルが建ったのはいつ頃だったか・・・
2014/6/22(日) 午前 11:40
2014/7/31朝日新聞、埼玉版にこの路地特集がありました。
弁天横丁と書いてありましたがそう呼ばれてるいるのですか?
「川越蔵の会」が中心になって保存活動をしているとの記事でした。
長屋に入居した染織工房の山本さんが顔つきで取り上げられています。
[ きんや ]
2014/8/2(土) 午前 0:29
きんやさん●昨日、図書館に寄って新聞記事を読んできました。保存活動がされているとは知りませんでした。長屋の一部が修復されているのも活動の成果なんでしょうね。
今でも私の父親は弁天横丁と言ったりします。この近くに桜横丁がありますが、私は長いこと弁天横丁の異名と勘違いしていました。昭和60年頃に撮影した写真を見ると八百屋とかあるんですが、今は駐車場になっています。
2014/8/3(日) 午後 10:06