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仲町交差点松崎スポーツ前あたりから北へ向かって一番街の通りを撮影した画像です。大正10年前後と推定されます。
右は菓子舗亀屋。二軒先に見える白い二階建て洋館が渡辺呉服店(山吉)の洋服部です。明治40年代に建てられ洋服と付属品一切を扱っていました。その向こうのドーム型の洋館は第八十五銀行(現埼玉りそな銀行川越支店)です。左の小さいトンガリ屋根の塔は近亀時計店で、銀行よりも奥に見えますが実際は手前に位置します。画像ではわかりずらいですが、自転車に乗っている人、自転車に荷物をくくりつけている人、子守りをしている子供などが確認できます。
こちらは現在の同地点。亀屋の店構えは今も変わりませんが、続く家並みは消滅してしまいました。
もうずいぶん前にある個人の手記をネットで読んだら、その方の母親の実家が戦前に亀屋の隣だったと記してあったのですが、今ではいくら検索しても見つからずよく読んでおけばよかったと少し後悔しています。
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資料





電柱が無くなって、道路が広く感じますね。
その昔、市長が外遊したとき、アメリカの道路の広さに感嘆し、(来たるべきモータリゼーションを考えると川越の道幅も広くしなければ!)と決意して1番街の道幅を拡張したとかしなかったとか・・・
遠い昔、もはや誰から聞いたのかも忘れてしまったあやふやな情報です。
[ no-mean ]
2014/7/22(火) 午後 6:07
no-meanさん●戦前に都市計画図が作成されて一番街も拡幅予定になっていたようで、わりと近年までこの計画が活きていたと聞いたことがあります。広小路や本川越駅から東上線のガードをくぐって川越駅西口に至る道路などが実行されたんじゃないかと思います。大規模なのは昭和初年の仙波・岸・新宿エリアで、仙波地区は住宅地用に小さい区画、新宿町あたりは工業地用に大きい区画にされたそうです。
2014/7/27(日) 午後 5:26