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川越尋常高等小学校(現在の川越小学校)の先生宛に送られたもので、
写真の裏面に数人の生徒への短い文がしたためられています。
「○○さんへ おたよりありがとうございます。げんきで軍教につとめて
います。ごあんしんください。」
生徒たちが兵隊さんにに慰問の作文を書いて送ったようです。兵隊さんは
おそらくは先生のかつての教え子なのでしょう。封筒裏に「8.26」と書か
れてるのは日付と思われますが、年度は不明です。川越市内の尋常小学校が
「国民学校」と改称したのは昭和16年4月ですから、それ以前とも考えられ
ますが断定はできません。
兵隊さんのその後の消息は不明ですが、先生が戦後もずっと大切に保管し
ておいた便りなのです。先生は20年ほど前に亡くなりました。
裏面に「南部 三亜港」とペン書きされています。
三亜港は中国海南省雲州半島の南にある海南島最大の港です。
写真はお土産として販売されていもののようです。
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兵隊さん、無事に帰還されたのでしょうか?
先生が大事に保存されていたので
そう思いました。
終戦記念日を70年前で最後にしたいですね。
[ きんや ]
2015/8/16(日) 午後 10:28
今晩は 小学生2年のころ僕も母と慰問袋を作って市役所に持って行って兵隊さんに送りましたよ 戦争初期には日曜日になると近所の金屋海軍航空隊から海軍さんが小原田町ににやってきて郵便局前で解散して 3時まで各家庭に休日を過ごしましたよ 僕のところにも何人かやってきました なけなしの食料でごちそうを作ってもてなしました 終戦のころには毎日空襲でそれどもころでなくなりました
2015/8/17(月) 午後 8:50
この頃の教師と生徒のつながりが、勉強に限らず、すべてにおいて「教わる者と教える者」だったのでしょうね。
○年ぶりに学習する立場になって感じた事は、教師が生徒に評価されるシステムがあり、教師が生徒の顔色を見ているのが、凄くショックでした。
落第すると、親からクレームがくるそうで、落とさないそうです。
要するに「くそみそ」状態です。
学ぶ事も自己責任とは想いますが、なんか納得出来ないのでいると、友人から「昭和の人間の言うことは古いね」と言われ益々気分が悪くなりました。
私の時代は大好きな先生がいてブライベートでもつながっていたような記憶がありますが、今は無いみたいですね。寂しいです。
[ ブルドック ]
2015/8/18(火) 午後 3:44
きんやさん●無事に帰還してくれていればいいのですが、その後はまったく詳細が不明なのです。
2015/8/22(土) 午後 10:38
安積の麻呂さん●慰問袋を作るのたいへんだったでしょうね。兵隊さんたちは日曜のわずかな時間がのんびりできるひとときだったのですね。地方都市とはいえやはり食糧事情は切迫していたでしょうからもてなすのも一苦労だったのでは。
とても貴重なお話をありがとうございます。
2015/8/22(土) 午後 10:47
ブルドックさん●「昭和の人間の言うことは古いね」はずいぶんひどいですね。でも今はそういう先生が生徒に評価されるという傾向も強いのでしょうね。小学生のときに新任の女性教諭が、雨天日に体育を体育館で行わず、算数か国語に振替えることをよくしてみんなが陰で文句を言ってましたけど、今なら保護者がなんか言いそうです。
好きな先生はいましたね。小学二年生のときの担任は母親のような雰囲気があって好きでした。社会人になっても年賀状やりとりしていましたが、今では途切れてしまいました・・
2015/8/22(土) 午後 11:01