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10月の新潟日帰り旅行では新発田で「オッチャホイ」を食べ、岩船漁港で海鮮に舌鼓を打って満
足でしたが、新潟ご当地メニュー「イタリアン」に少しばかり心残してきました。
次に新潟へ行く機会があったらぜひと思っていたところ、川越まるひろデパートの催事「新潟物産展」でイタリアンが販売されると知り、この機会逃すべからずと時間みつけて入手してきました。
新潟市の甘味処「みかづき」が昭和35年から販売している「イタリアン」は、自家製太麺焼きそば
とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、生姜を添えてトマトソースをかけたもの。
麺は川越の太麺やきそばと同じくらいの太さ。ソースの味付けはかなり控えめな感じ。新潟の友人
にそれほど期待する味じゃないよと言われていましたが、食べてみると・・・たしかに友人の言う
とおり。素朴でごくごく無難な味でした。
越後味噌ダレにとろけるチーズがかけてあってかなりしつこそうに見えますが、意外とあっさり
してました。家族もこれはなかなかと評していました。
他に「ホワイトクリームイタリアン」などもあり、珍しいせいかイートインは満員、持ち帰りコ
ーナーには列ができていました。
会場で売っていた越後米のおにぎりもおいしそうだった〜〜
「新潟物産展」は12月1日(火)まで。
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快走するフライング東上号リバイバルカラー電車(川越市ー霞ヶ関間)
1949年(昭24)春〜1967年(昭42年)冬までの18年間、東上線を走った行楽列車「フライング東上
号」の塗装を復活させた列車が東上線全線開通90周年を記念して走り始めました。
運行初日の28日には記念乗車ツアーがが開催され、これには板橋区に住む友人が息子さんとともに乗車し池袋〜寄居間のツアーを楽しみました。
走行写真を撮ろうと準備をしたのですが、もたもたして家を出るのが遅くなってしまい、「今、成増通過」「柳瀬川通過」と友人が送ってくるメールにちょっと焦りながら、JR西川越駅北方の田園地帯へ。
見晴らしのよい東上線の踏切際にはカメラを手にした人たちが何人も待機していました。川越駅を通過したとメールがきたので、もうまもなくと思っていると「踏切安全確認で停車中」とメールが。あれれと思いましたが、やがて川越市駅方の踏切が鳴り出すと、鮮やかな青色のTJライナー用電車が青空のもとに姿を現し、あっという間に走り去って行きました。撮るのがせいいっぱいで10両目の窓際に乗っていた友人親子はもちろんわからず仕舞い。友人は田んぼの畦にいた自分がわかったとのこと。友人のメール報告によると森林公園駅で30分停車したのち小川町へ着くと、同じくリバイバル塗装した8000系電車に乗り換えて終点寄居へ向かい、そこで解散になったとのこと。
友人親子は寄居駅近くの老舗「今井屋」でタレカツ丼を食べて、よい天気の中のんびりと帰ったようです。
このリバイバルカラー電車はこれから約一年間運行されるそうなので、偶然に乗り合わせることもあるんじゃないかと楽しみにしています。
【なつかしのフライング東上号資料】
が描かれている。
昭和33年版パンフ掲載の時刻表。フライング東上号は池袋ー寄居間を1時間32分
で走った。
特急フライング東上号は池袋発8:35ー寄居着9時53分。川越市・玉淀停車のみで所要時間は1時
間18分とスピードアップしている。
レジャー時代到来で「急行グリーン(ゴルフ客向け)」「急行さだみね」「急行くろやま(越生行)」「急行あらかわ」など多くの行楽電車が東上線にも走った。大型団地ができて若い家族が増えていた
上福岡に特急以外どの急行も停車した。
「特急列車フライングトージョー」とあり、他の記事にも記載がある。前年秋に
試験的に行楽電車を走らせて好評だったことから、この年より「フライング東上
号」の名称で春秋の行楽シーズンに運行を始めた。
学校の遠足などの団体用向けに、吉見百穴・玉淀・長瀞など目的地の駅まで
ノンストップで走りますとあり、さらに東上沿線から上野動物園や豊島園などへ
もどうぞとある。
【おまけ】
TJライナーは現在夕方ラッシュ時を中心に下りのみ運転されているが、来春のダイヤ改正ではさらに平日深夜0時発まで増発されて30分間隔となり、朝ラッシュ時に上りのTJライナーも2本新設されることが発表された。
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【八州通商録 全』
明治30年12月刊 田中芳四郎編纂 芳流館編纂所
潤滑な商業取引の手引きとして刊行された商工人名録で、東京府・神奈川県・埼玉県・千葉県
・茨城県・栃木県・群馬県の市町村の有力商工業者の一覧です。タイトルに使われている「八州」
はいわゆる関八州(対象エリアの八つの旧国名、武蔵・相模・下房・上総・安房・常陸・下野・上
野)のこと。情報が乏しく交通や通信も不便であった時代、どこの町にどんな業者がいるのかが一
目でわかるこのような名鑑は重宝だったと思われます。
序文には発行目的とともに刊行までの紆余曲折が記してあります。資金面など様々な障害にぶつ
かるのですが、旧知の知人の援助により見通しがたち、武州川越町へ赴いて周辺地域の豪商へ掲載
勧誘をすると半月で300人余りが賛助してくれて刊行へのはずみがついたと書かれてあります。
川越町の掲載業者数は86。川越大火から数年しか経っておらず、町は復興途中だったと思いますが
有力商家のほとんどが名を連ねているようで、当時の川越町の商業の一片を知る手がかりとなる資
料のひとつでしょう。
か
川越町ノ部の一部分 文字の大きい業者はおそらく協賛費を多く払ったのだと思われます。
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