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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

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 ■6月20日のブログで、八幡宮の芽の輪くぐりのことを書いたのですが、その後すっかり忘却の彼方になっていました。
 今日、曇り空のもとドンキホーテに向う途中に八幡宮の前を通りかかり、あっそうだったと思い出した次第。
 境内をのぞいて見ました。

 雨がポツポツ降り出してきましたが、訪れる人がちらほら境内に入ってきました。観光客ではなく地元の方のようです。
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 輪の傍らに、正しいくぐり方が大きく表示されているので、それに従えば簡単にできます。
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■今日、小仙波のドイト跡に、ドンキホーテがオープンしたのでちょっとだけのぞいて来ました。ドンキ特有の迷路のような店内は、どこになにがあるか探すのが大変。DVDソフトが999円均一だったので「県庁の星」を買おうかなと思ったものの、結局手ぶらで帰ってきました。
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 ■この界隈の商業集積には眼を見張るものがあります。小室の西パイバスにあった川畑家具も移転してきましたし、大宮方面を始めとして富士見・東松山への分岐点として立地条件が整っていますから、これからも各種施設が出来ていくと思います。
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★道を間違えたら・・

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 東へ向っているつもりが、なんと南へ向っていた!慣れない郊外の道はほんと侮れない。
 でも、こんな風景を発見!りっぱな屋敷に青田の美しさ。

 川越市古谷地区で。
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■本川越駅近く新富町通りにあった「尾張屋」もなくなって30年が経つ。尾張屋は浦和に本店を持つ、戦前からの呉服・服地の店。戦後の高度成長期にスーパーマーケットが新業態として現れたときに、尾張屋も総合衣料スーパーへ変貌を遂げたらしい。
 川越市連雀町に進出したのは昭和37年。場所は現在スーパーマルエツのある筋向いのマンションのところ。上のモノクロ写真が当時の店舗である。地上3階建てで衣料全般を扱った。店舗は広小路側へも入口を持っていた。当時の川越は一番街や銀座通り(現大正浪漫夢通り)の繁栄が峠を越し、広小路以南の新富町が栄えはじめた頃。まだ丸広デパートも仲町にあったが、尾張屋は丸広よりも大きい店舗だったようだ。
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【尾張屋跡現況】↑左のマンションが跡地。尾張屋移転後は「家具の宝船川越店」だった。この先の広小路の信号を渡って進むと大正浪漫夢通りとなる。
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 ■昭和39年に丸広が新富町に移転すると、川越の中心街は完全に川越駅寄りに移動した。尾張屋も同じ連雀町地内ながら、駅寄りに移転したのが昭和44年。現在湯遊ランドがある場所である。私の記憶もここへ移転してからである。地下1階地上4階の大規模店舗で、服飾雑貨など幅広い営業品目を網羅した。「川越ショッピングデパート」として書店やカメラ店、地下に食品スーパー丸悦がテナントとして入店した。
 尾張屋は浦和・川越の他に蕨・春日部・志木・本庄・所沢・東京清瀬に支店を持ち、県下でもよく知られた店だった。ニチイ系列となっていたが、昭和51年秋に完全にニチイとなって尾張屋の名称は消滅した。
 ニチイになっても店の雰囲気はたいして変化なかったから、私の記憶は尾張屋とニチイが混在している。今思えば田舎くさい店だった。床は昔のデパートによく見られた寄木細工のような木のフローリングだったと思う。4階は早い時期に売場では無くなり、催事やのちにはゲーセンや古本屋があった。
 ニチイが閉店したのは80年代末期だろうか。建物は取り壊されて、スパ銭湯とホテルに建てかえられた。

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