200年前に造られた蔵造り店舗内部を見る
■明治26年(1893)の川越大火は、新聞号外も発行されたほどの未曾有の惨事でした。一夜にして川越の目抜きの大半が焦土と化しましたが、呆然とする川越商人の目に留まったのが、焼け跡に残ったいくつかの土蔵造り。防火建築として最適であると認識した川越商人たちは、次々と土蔵造りの店舗を競って建てたのです。今日残る川越の蔵造りのほとんどが川越大火以後の建築によるものです。
蔵造りの街並み誕生のきっかけとなった、焼け残った数軒の土蔵造りのひとつが「大沢家住宅」川越大火のほぼ100年前、現在からだと200年ほど前の寛文4年(1792)に呉服太物商西村半右衛門が建てたものです。
100年の隔たりは外観も内部にも、明治の土蔵造りとは大きな違いがあります。
◆重要文化財大沢家住宅全景(川越市幸町) ■内部(2階)は200円の料金で見学ができます。当主の方が丁寧に説明してくれました。
『この建物の間口は六間です。六間もある蔵造りは、うちとお茶亀屋さんと服部さん(服部民俗資料館)くらいだと思います。平成元年から少しずつ改修保存工事を進めておるのです』
■箱階段を上ったところの壁です。緩やかな起伏がわかると思いますが、これは耐震構造のひとつです。
『壁の厚さは30センチあります。ちなみに大黒柱は27センチなんです。柱はみな1階から2階までの通し柱でして、これも耐震を考慮したものです』
壁の中は丸竹が縦横に組まれ、改修工事のおりにはこの竹をしっかりと結わえる材料がアケビの蔓であることが判明しました。ちなみに竹は霜が数度降りた頃に伐採したものを使用します。寒さで竹の中に潜んでいる虫が死ぬからだそうです。
■5室からなる2階の、一番街に面した16畳の広間は商談などにも使われたとのこと。画像は広間の床の間です。中央の床柱が上下の部分のみであることがわかるでしょうか?これは天井が低く、窓も少ない構造から受ける圧迫感を少しでも和らげて、広く感じさせるために切り落としてあるのです。
『床柱の材質は山椒の木でして、これで樹齢300年ほどです』
画像には見えませんが、2階の中央には大黒柱があります。
『間口が広いため大黒柱は2本あるのです。普通は一本ですからうちの場合厳密には大黒柱とは言えないのでしょうけど』
当主の方は先生のような口調で丁寧に話してくれます。
■床の間の上部です。灰色の部分は漆喰ですが、中に竹などはまったく入っていません。要するに漆喰の塊なのです。
『これは相当の腕を持った職人が拵えたようです。改修工事に来た職人は京都で修業した方でしたが、この漆喰技術に驚いてここだけは手をつけませんでした。』
落下率8割とのことですから、建築以来200年間落下せずにいることはまさにびっくりです。
■川越の蔵造りで土格子は大沢家のみ。内側には障子戸・雨戸の他に防火用戸もあるのです。この下の部分は、階下の雨戸を仕舞うスペースになっています。シャッターのように上部に雨戸を収納する仕組み。防犯のために二重になっています。
■説明してくださった当主の方。
『ちゃんと説明しないと蔵造りのよさはわかってもらえません』
平日でしたがちらほら見学の方が階段を上がってきました。私の次に説明をしたのは岐阜県からの見学者の方達でした。
なお、2階には画家佐藤章の素描画が展示されています。川越をメインに全国各地の建物・風景の精密な素描の原画です。
■大沢家を見ようという目的ではなく、通りかかったついでの見学だったため、ずぼらな私は予備知識もメモの用意もなく、貴重なお話をただ聴くに留まりました。30分に及ぶ説明はたいへんおもしろいものでした。
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