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新富町「丸広デパート」前。 ほぼこの位置に幼稚園児だったころの自分が立っていた記憶がある。 上をみてデパートの階数を数えていたのである。その頃の丸広は4階建てだった。5階6階を増築したことを知らなかったので、のちのちまであれは数え間違いしていたのだろうかと思っていた。 丸広へ行くと、地下売場でアツアツのアメリカンドックを買ってもらうのが何よりの楽しみだった。ゆっくりと自動で回っている円形のキャンディーコーナーもあった。1階入口にあったマクドナルドはたしか埼玉県で最初の店だったはず。若かった母親が時々ここでハンバーガーを買っていた。 画像左端のショーウィンドーあたりに、以前は地下食品売場への下り専用エスカレーターがあった。当時は店内のエスカーレーターは上りしかなかったと思う。下りは唯一ここだけにあった。それだけに乗るのが楽しみだった。 ガムのおまけに、絵柄を上から擦ると下に敷いた紙などに移せるシールがあったが、母親の買物が長引いているに退屈して、マネキン台に絵柄を擦りつけてしまったのも丸広だった。
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2007年04月12日
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■小学6年の終り頃、クラスでサイクリング車を買うのが流行した。自分も親に強請った口である。冬の寒い日にサイクリング車軍団は、川越の街から東を目指した。枯れた田園をひたすら走ってたどり着いたのは、大宮との境界荒川のほとりの古尾谷八幡神社。地名でいうと古谷本郷である。鬱蒼とした森の神社だったことを覚えている。そのあと上江橋(かみこうはし)の土手で、誰かが用意してきたホテイのヤキトリ缶詰を回し食いした。 この行程途中に「学校橋」という九十川(ぐじゅうがわ)に架かる橋を渡ったことを覚えている。変わった名前なので印象に残ったらしい。 あれから数十年・・・この橋へ行ってみることにした。 南田島地区の田んぼ際で、台車を押して来た農作業の男性に聞いてみた。髭を生やした学者のような風貌の老人。「学校橋?・・・えぇっと聞いたことあるな」地図を見せるとしばし覗き込んでいたが、やがてここですと指指したのは線路南側の橋である。記憶とまったく違う場所。地図に橋名は記載されていない。お礼を述べて、半信半疑ながらもそこへ向かってみた。南古谷駅に通じる道である。 晴れた空の下を行くと、どこにでもあるデザインの橋が見えてきた。橋の欄干に「学校橋」とある。老人の言ったとおりここであった。 なぜ「学校橋」なのか?それは「続・川越の伝説」に記載があった。南田島地区の子供が並木地区の学校へ通うために、九十川に丸太2本の橋を架けたことに由来するとのこと。おそらくは明治初年の話しなんだろうと思う。 学校橋のすぐ上手は埼京線が走り、下手には土手に細い桜が植えられて、いずれはここも桜の名所になりそうな場所。南古谷駅はここから約10分ほどの位置。
【参考資料】 続川越の伝説 川越市教育委員会 昭和59年
↓黒印のところが「学校橋」 |
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