☆廃止後70年近くが過ぎても残る橋台
■川越電気鉄道は明治39年(1906)〜昭和15年(1940)の間、川越〜大宮間を走っていた鉄道。「川越電車」「チンチン電車」などと呼ばれて親しまれたが、国鉄川越線の開業とともに廃止になった。線路跡はほとんど道路になっており、往時を偲ぶものは一切無いと思っていたが、1980年代に広報川越で橋台遺構が紹介された。ぜひ1度見たいと思っていたが、いたずらに歳月は過ぎて20年余り、ようやく重い腰をあげた。これもブログをやらなかったら出かけなかったかも知れない。
●↑西武鉄道沿線御案内(昭和2年)」より。絵は金子常光。 ■橋台の遺構があるのは川越市東部古谷地区。行けばわかるだろうと地図だけ手にして向った。伊佐沼東端の「沼端」の集落を過ぎたあたりから注意しながら行くと、道路端にちゃんと橋台があった。ゴミ集荷場所の裏なので、うっかりすると見過ごすかもしれない。細い用水に架けられた橋の跡である。用水は護岸のためにコンクリートで固められているので、橋台の下方は隠れてしまっているようだ。
不思議に思ったのは、橋台が道路から外れていること。橋台の両側は家が建っている。この鉄道は専用軌道部分も多少あったが、大半は県道と里道に線路が敷かれた。戦前の地図で見るとこの区間も道路上なのだが、現在の道路とずれているのはなぜなのだろう?
そんな疑問を感じつつも、チンチン電車の名残をこの目で確認できたことはうれしかった。
●↑川越電気鉄道の軌道跡。自動車のあるその向こうが旧荒川。
■橋台から東へたどると広い通りへ出る。右角にセブンイレブンがあるが「黒須停留所」があったのはこのあたり。当時はこの広い通りが土手になっていて、切り取られた土手の間を電車はぬけて荒川を渡った。
通りを渡って舗装された細い道へ入ってみた。これが軌道跡。じつは中学生時代に川越電気鉄道の路線跡をたどったことがあって、そのときここへ来ている。当時は草が生えた農道だった。今も両脇は畑だが、家が何軒か建っている。真っ直ぐ延びた軌道跡を行くと、やがて途切れて行き止まりになった。その先は旧荒川の名残である。電車はここを太鼓橋状の木橋で渡って大宮へ向かったのである。鉄橋を架ける資金が無かったためらしいが、荒川の出水時には無人の電車を橋上に停めて重石にし、木橋の流失を防いだという逸話を持つ橋跡なのである。川岸にも民家が立っていて、川の旧状を確かめることはできなかった。
【参考資料】
○語り継ぐ町内史チンチン電車 三久保町自治会 昭和63年
○わが川越電車 大野恵二 平成5年
○西武鉄道沿線御案内 昭和2年
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