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■子供の頃、正月に越生在の親類へよく行った。広い前庭と堅牢な造りの平屋の大きな母屋があって、後で聞いたところによると当時は浴室が五右衛門風呂だったという。親たちは正月の酒を酌み交わしながら、あれやこれやしゃべっているが、子供はお年玉をもらって、おせちを少しつまむともう飽きてしまう。 早く帰りたいと思っていると、おもむろにカンカンカンと踏切の警報が鳴り出す。親類の家は八高線の線路際にあった。冬の日差しが硝子戸を通してめいっぱい当たっている広縁に出ると、やがてクリームとオレンジ色のディーゼルカーがエンジン音を高鳴らせて通過した。上下合わせて一時間に2本くらい通過したと思う。見るのはほんの一瞬でも、少しばかりの退屈しのぎになった。 時折、シルバーのステンレス車両も見ることができた。川越線と同じ車両なので、あのディーゼルカーは川越行なのだとずっと思っていた。たまには歩いて最寄の駅まで行ってみたりもしたが、切出した材木の匂いが漂う駅前は閑散として、子供の目をひくようなものは何もなかった。 この親類は明治か大正の頃に縁を結んだが、今では血筋も薄くなって、賀状のやりとりだけになっている。 八高線も高麗川以南が電化され、非電化区間もすぐれたデザインのディーゼルカーが走っている。かつては新宿発水上温泉行きの準急列車も走った栄光も秘めた路線。
*画像の撮影は6月14日
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2007年06月21日
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