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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

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■母方の祖父が亡くなったのは20年以上前のこと。物心ついたとき、祖父祖母はこの人しかいなかったから、おじいちゃん・おばあちゃんと呼んで甘えたことは皆無に等しい。母方の祖父の顔を見るのも正月と盆だけであった。中学生のとき、この祖父が川越の祭り見物に来たことがあった。どんなきっかけか覚えていないが、このとき「川越電気館」の話しを聞いた。

 記録によると、川越電気館は大正時代に喜多院の北参道にあった活動写真館である。川越で映画がはじめて上映されたのは明治の終り。東京浅草の映画館が出張してきて、川越でイベントを開いたという。
 当時映画は黎明期。どこの劇場も演劇中心でその合間に映画を上映しているところが多かった。そんな中で川越電気館は映画の専門館として開館したのである。戦前の川越の各映画館建築は、県内諸都市の映画館建築と比較するとやや見劣りがするが、喜多院の銅版画に描かれている、両脇に塔を持つ川越電気館の洋風建築はずば抜けてりっぱだったと思う。

 喜多院門前を選んだのは、参詣客を見込んでのことらしい。近くには久保町のお不動さまもあり、川越電車久保町駅も至近だったが、それでもやはりここは町外れだった。映画専門というのも川越のような小さな町では時機尚早だったのかもしれない。経営は苦しく、ほんの数年で電気館は潰れてしまった。

 祖父はこの電気館へ映画を見に来たことがあるという。いくつかエピソードを聞かせてくれたが、老人の遠い昔話でもあるしどこまで正確だろうかとずっと思っていた。その話しのひとつが、入場料が十銭だったということ。
 今日残されている電気館の資料はたいへん少ないのだが、今年になって入場料十銭を裏付ける資料が発見された。

 私は祖父が話してくれた、他のエピソードもほぼ正確なのだろうと思いはじめている。今更悔やんでも遅いのだが、存命中にもっといろいろ聞き出しておくべきであった。もの静かな老人で、田舎家の土間の大きい火鉢で粗朶をくべている姿を、今でも覚えている。
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■↑喜多院北参道。右手の駐車場の先の蕎麦店あたりに電気館はあった。

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