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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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★枯れ夏

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 ●川越市新宿町1丁目の枯れたひまわり畑

★旧栄養食配給所

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【旧栄養食配給所】

 ■松江町二丁目の旧川越織物市場敷地内に「旧栄養食配給所」の建物が残されています。昭和9年設立で当時の名称は「川越織物工業組合栄養食配給所」 工場で働く人々のための食事をここで一括して作り配給するという、現在の給食センターに相当するものです。

 昭和13年当時の加盟者数は33で、内訳は工場19・その他14となっていて、織物工場以外にも配給していたと推測されます。2人の炊事夫が一日3食延べ1200人分の食事をつくっていました。運搬はリヤカーで行われ、いちばん遠い工場までは4キロでした。

 川越の配給所の献立は不明ですが、東京市本所区(現墨田区)にあった「江東消費組合第二栄養食配給所」の献立表には「炒り豆腐」「吉野煮」「ライスカレー」「鰹時雨煮」などがあり、川越の配給所も同様な献立だったと思われます。一度に多種類の野菜を使用した献立が多く、たとえば朝食はご飯と味噌汁だけですが、味噌汁は具沢山でおかずを兼ねていたようです。もちろん栄養士によって労働に従事する人たちのために考えられた献立でした。

 昭和13年当時、全国に69箇所の栄養食配給所があり、その三分の一は埼玉県に存在しました。嚆矢は大正時代の愛知県の工場ですが、昭和8年に実施された川口市織物工場地帯での栄養士指導による栄養食実験が好評で、賛同した県の推進が飛躍するきっかけとなったようです。配給延べ食事数一日500食を超えることが成立条件のひとつで、埼玉県にはギリギリラインの配給所が多かったものの、経営は一応安定していたそうです。川越の他に川口・入間川・所沢・飯能・行田・秩父などにありました。

 このような施設が残っていることは全国的にも珍しく貴重であることから、旧川越織物市場とともに平成17年に川越市の文化財に指定されています。

 【参考資料】
 ●工場食の改善と工場栄養食共同炊事場 昭和13年

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