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■川越南町足立屋呉服店のニコニコ袋 たまに読み返す「子供たちの大正時代-田舎町の生活誌(古島敏雄/平凡社/1982年)」は、信州飯田での幼い頃の生活を詳細に記した内容で、正月の章に元旦の晩に買い初めにでかけるくだりがある。夜の明けぬ目抜き通りは商家の初売りでにぎわい、著者は正月の遊びネタを求めて本屋の福袋を狙い、母親は半端切れを詰めた呉服屋の福袋を女中に頼んでいたという。 福袋の歴史を検索したところ大丸が江戸時代に販売した記録があり、松坂屋・松屋が明治末期より販売とあるので、大正時代には客寄せのために恒例となっていたのかもしれない。 画像は幸町(旧南町)の市指定文化財原家住宅。この重厚な蔵造りは川越大火後に呉服商足立屋が建てたものである。川越でも有力な呉服商で、呉服・太物・帯留類・ショールの他、洋物・ケープ・洋傘・袋物・シャツ・ハンカチーフなど幅広い品を扱い、店頭にはショーウィンドーを設け、顧客にはお薦め品を記したカタログを案内したりして常に最新の販売技術を取り入れていた。 足立屋呉服店は季節の変わり目には新作柄の大売出しを行い、その目玉のひとつに「一円均一ニコニコ袋」の販売があった。すなわち福袋であって、その中身の一例をあげると木綿縞一反と銀花一反のセット・上等糸入新紬とメリンス一丈に染絣一反のセットといった具合。 大正3年夏の売り出し時に100袋を用意したところたちまち売れ切れてしまい、五里も七里もの遠方からやってきた買い物客に迷惑をかけたことから、冬の売り出しには200袋用意したという。 「子供たちの大正時代」にも正月の初売りに集まる客は地元よりは近在からが多かったとあるから、川越も同じく周辺農村地域からの客が売り出しを楽しみにやってきたのだろう。 余談だが私は福袋を一度しか買ったことがない。正月早々に野暮用ででかけた宇都宮市のデパートで衝動的に買い、帰宅してから中身をあけてそのひどさにがっかりした。20年ばかり前のことだが、そのころはまだ中身が確認できるシステムではなかった。正月とはいえ真っ赤な福袋を下げて遠路帰ってくるのもちょっと恥ずかしかった(苦笑)
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2008年10月30日
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