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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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 ◆市内新宿町6丁目・旭町3丁目付近に、馬の蹄の轟きと観衆の熱気が湧いたのは、かれこれ70年前の昭和10年前後のこと。ここに「川越競馬場」があったことを実際に知る人も稀になってきた。

 埼玉県における本格的競馬場の嚆矢は、秩父競馬場で昭和2年の開設。以後、終戦までに熊谷・大宮・川越・春日部に競馬場が存在した。川越競馬場は最初は今成地区にあったが短期で廃止となり、昭和8年に新たに新宿町に開場したもので、前年暮れの埼玉日報に来春の競馬開催を目指して、急ピッチに施設整備が行われているとの記事が掲載されている。今でも「新宿にあった草競馬は」などと言われたりするが、観客スタンドや馬券売場・庭園などを備えたりっぱな施設であった。
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◆画像は新宿町6丁目地内。畑向こうに見える横長の低層マンションが観客スタンドのあった位置。自動車が駐車しているあたりが滑走コースにあたる。観客で満場の中、このコースを「ホクサイヒヤリ」「トカチネリー」「アルプスレンジャー」「シャイニングフジ」などの個性的ネームの馬が全力疾走していたのである。馬主には女性もかなりいた。
 手前の畑にはひところまで競馬施設の土台が残っていたりもした。遠景の高い建物は市立川越高校(元川商)

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◆これは昭和12年の「東上線ニュース」に掲載された告知広告。観客は都内をはじめ各地からやってきた。西武大宮線川越久保町駅前の旅館は競馬開催前夜は宿泊客であふれ、宿代を取りはぐれぬよう夕飯の膳と引き換えに徴収したのは有名な逸話。

 観客が手にした番組表には東上線西町駅(現川越駅)の時刻表が掲載されているから、やはり東上線利用客が多かったのだろう。当時は池袋から1時間毎に準急が運転され、競馬観覧用往復割引もあった。西町駅から競馬場まではバスも運行され、多摩地区と川越間を結んでいた多摩湖鉄道バス路線図には、所沢街道に「競馬場前」というバス停が記載されている。

 川越競馬場の廃止は忍び寄る戦争の影響によるもので、昭和14年に全国の多数の地方競馬場が廃止された。
 なお川越では戦後まもなくに霞ヶ関地区で競馬が開催されたことがあるが、これは耕地をつぶして開催されたまさに草競馬であった。

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