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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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★表紙を描いた人は

★特別企画?H1>洋画家 川田恒之助(かわたつねのすけ)
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 上の画像は1960年代に使用された小学校の社会科副読本「かわごえ」 表紙画の獅子舞と喜多院慈限堂の絵は洋画家川田恒之助によるものである。

 川田恒之助は明治43年(1910)に秩父に生まれ、幼少時に川越に移り住んだ。昭和3年(1928)に川越工業学校図案科を卒業すると、川端学校洋画科に学び、さらに東京美術学校(現東京芸大)で藤島武ニの指導を受けた。
 美術学校への電車内で、同じ川越から上野の音楽学校へ通学する女性との間にロマンスが芽生えのちに結婚する。就職の関係で川越を離れるが、やがて川越の中学校に奉職した。戦前は日本画を描いたが、戦後は洋画に転じひたすら静物画を描き続けた。

 以上の略歴は1970年代に出された画集に掲載された詳細をまとめたもの。川田恒之助が在野に埋もれたのは、画家として世に出るために不可欠な有名団体に属さず、絵を1点も売らずどこまでも自分のために描いたかららしい。川田恒之助の名前は以前から知っていたが実際に絵を見たことはない。画集の存在を知ったのは10数年前だが、これには洋画しか紹介されていない。その後いくつか川越関連書籍の装丁画や挿絵の仕事をしていることに気づいた。副読本「かわごえ」は挿絵の一部も担当し、「史実江戸の母川越(飯島謙輔/昭和24年)」でも装丁画と挿絵を描いている。同書巻末には略歴と顔写真も紹介されているが細面のおとなしそうな人である。昭和48年には東京銀座の画廊で個展を開催した。
 
 戦前に住んでいたのは中央小学校界隈らしい。戦後は南町(現幸町)に居住し勤務先は城南中学校だったことが、当時の中学校名簿から明らかである。

 余談だが、私が使用した社会科副読本はこれより後の新装版「わたしたちのかわごえ」で、表紙絵は池田満寿夫によるものだった。

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 【参考資料】
 ●現代画家精選川田恒之助 1973年
 ●かわごえ  昭和43年
 ●史実江戸の母川越 飯島謙輔 昭和24年

★真夏日

 今日は東京31℃、熊谷33℃。中間に位置する川越もほぼ同じくらい気温だったと思います。

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【炎天下を散策する方達】4日 13時半頃 幸町にて
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【田園の彼方に浮かぶ川越市街】4日 14時半頃 豊田本地内にて
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【夕方の雲】
 天気予報では北関東に雷雨と言ってましたが、黒い雲がどんどん南下してきて、鈍く空が光りだし、屋根瓦をけたたましく雨音が叩いて現在夕立中。
 これで今夜は涼しくなるといいのですが・・・

★生どら焼き

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 先日、近所の知人から到来した生どら焼き。

 左からバナナ・キャラメル・モンブラン味。

 どら皮はわりとあっさり風味。

 市内久保町の井口甘納豆製。

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 末広町3丁目の山仁病院脇の短い坂道。名前はあるのかどうか・・・

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【下から見た坂道】
 なんの変哲もない道。両側の屋敷の木々が多いのが取り柄か。
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【坂上手前から】
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【坂上路地の煉瓦塀】
 落ち着いた風情あるお宅の塀です。すぐ先が坂。
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【赤間川の橋より見た坂】
 橋は人と自転車のみ通行可。橋のたもとに水難の碑があります。かなり古い時代のもののようで、詳細は判読できませんでした。
 左手は赤間川公園。
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【橋上より見たる赤間川】
 下流を眺めたもの。明治頃はこの付近の川幅はもっと広かった。

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