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■昭和初年に人気を博した流行歌手藤本二三吉(ふじもとふみきち/1897-1976)は、浅草に生まれ日本橋葭町の芸妓時代に常盤津を修め、大正末期にレコードデビューした。昭和に入るとビクター専属として次々にレコードを発売し「祇園小唄」が大ヒットした。この頃は新民謡と呼ばれる地方小唄が流行り、多くの歌手が歌ったが、とりわけ藤本二三吉によるものが多かったという。 川越商業会議所は地元の唄を作ることを企画し、昭和5年に西条八十作詞・町田嘉章作曲による「川越小唄」が完成した。このレコードを吹き込みしたのが藤本二三吉で、同年の「所沢小唄」のレコード吹き込みも彼女によるものである。 上の画像は昭和8年に「思い余れば」という流行歌を発売したときの案内状の写真。挨拶文にはコロムビアレコード専属になったとあるが、これはビクターが人気の出てきた小唄勝太郎・市丸を贔屓にすることに嫌気がさしての移籍だったらしい。差出欄には「東京葭町 藤本二三吉」とある。 川越小唄のレコードを聴く集いが数年前にあったが、チャンスを逃し残念ながらいまだにどんなメロディーなのか知らない。藤本二三吉の唄はCDで「浪花小唄」「祇園小唄」「唐人お吉小唄」を聴いたが、写真の雰囲気からはちょっと想像のつかない声質。声量豊富でマイクいらずは藤原義江・三浦環と藤本二三吉と言われたという。弟子など一切取らず、江戸っ子気質でさばさばした女性だったらしい。娘も孫も歌手になった。 【参考資料】
●ウィキペディア「藤本二三吉」 ●報知新聞特別付録 東日本名勝画報 栃木・埼玉編 昭和5年 |
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2008年08月13日
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