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自宅の墓参りを済ますと、夕刻に中院の法灯花(13日ー15日)をはじめて見に行った。 とっぷり日は暮れて、境内にろうそくの灯が赤く揺れている。姫路特産「明珍火箸風鈴」の音色が聞けたことを後で知ったが、境内は蝉の大合唱で風鈴の音色にはまつたく気づかなかった。ほのかに明るい本堂の中からは穏やかな音楽が流れていた。ろうそくが輝いているものの、足元は暗くておぼつかない。そんな中を大勢の人が提灯を下げて先祖を送りにきていた。竹筒に灯を燈した竹薮脇の踏み石をつたった奥庭では、墓参りを終えた人たちが国内産のいろいろな線香花火を点じて、逝く夏を楽しんでいた。8月も15日を過ぎると自分の中で一気に夏がしぼんでいく。 日暮れ直前の明るさが残っている時間に来ればよかったのかも知れない。暗い中での携帯カメラ撮影はほとんど失敗。 |
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2008年08月15日
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川越は空襲をまぬがれた幸運な町であるけれども、爆弾投下や機銃掃射による攻撃はかなりあったらしい。 東上線川越駅も昭和20年7月に機銃掃射を受け乗客が死亡する被害を受けた。資料によっては爆弾投下とも記されておりはっきりしたことは不明。手元に詳細を記した資料があったのだが、いざとなったら行方不明で見つからない。と言ってわざわざ浦和の図書館へ出向く暇もなし。 川越高校第三期生還暦の文集「おーい楠の木よ(平成6年)」を読むと、川越駅攻撃のことに触れた箇所がいくつかあり、被害は駅だけでなく周辺も含んでいたらしい。音がしたときには飛行機はすでに低空飛行で、射程距離内に自分がさらされている機銃掃射ほど怖いものは無かったそうだ。札の辻や浮島神社付近で襲撃された話も掲載されている。 戦時中は私の自宅の庭にも防空壕があったそうである。自宅からわずか百メートルの畑地に爆弾が投下されたことを、子供だった父親は記憶している。父親は江戸時代の古銭を小さな布袋に保管しているが、これは戦時中に市内の軍需工場入口に山積みになっていたものを、一握りもらってきたものである。
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