|
■5月2日 新宿止まりの埼京線から山手に乗り換えると、ふたつ離れたドア際に立ったままでガツガツとマフィンを齧る若い女を目撃。混雑している車内でまったくのお構いなし。渋谷に着くとすでに姿が見えなかったので原宿で下りたらしい。髪をひっつめにし黒縁メガネのパッと見は就活顔。数年前に中央線でやはり立ったまま折り詰めの海苔巻きを手掴みでむさぼり食う女性を見て以来。通勤電車の座席で食べる人はいくらでもいるが、立ったままというのは・・・・・ 用事を終えると休みにもかかわらず勤務先に顔を出し、しゃんしゃん手早く雑用を片付け。夕刻に新宿駅で友人と合流しカラオケへ。2時間勝負で10曲くらいか。 タッチパネルで曲の検索や入力ができるが、いろいろ機能があって「ご当地ソング一覧」を操作してみた。たぶん「なぜか埼玉」だけだろうなと検索したところ、びっくり10曲近くもヒット。 リストになんと「川越の女(ひと)」という曲が!!! ためしに入力したら、画面に合わせて友人が歌ってしまいこれにもびっくり。「すごく歌いやすいから」とのお言葉。 これで思い出したが、ムッシュかまやつの「我が良き友よ」の背景画面は全編川越ロケだった。10数年前のカラオケで見たことがあったが、今はもう川越画像は使われてないかもしれない。 池袋駅21時半発の急行電車で帰川。
|
過去の投稿日別表示
-
詳細
全1ページ
[1]
コメント(12)
|
川越市役所から西の札の辻にかけてはかつて「本町(ほんまち)」と呼ばれた。古くは「本宿」ともいわれて、川越草分けといわれる人たちが住み、川越市街の礎はこの本町あたりに形成された集落からだと推察されている。もっともその頃は家屋が密集しているわけでなく、町というよりもほぼ農村的景観だったらしい。 現在の市役所南側駐車場のところにあった川越町役場から撮影したもの。板葺きの家屋もあるが、家並みが揃ってりぱな景観である。左側に「牛鳥洋食」と看板を掲げているのが「吉寅」 右側中央あたりには川越の地図などを発行した進愛舎活版所があった。 右端上部に学校の校舎のような細長い屋根が見えるが、元の川越米穀外三品取引所の建物で今も残っている。その向こうの大屋根が小間物商近江屋で、背後に広済寺の屋根も見える。 通りを行き来する人がまばらなのは朝早いのか、昼下がりなのか・・こうもり傘を差している人がいることから夏の情景らしい。おそらくは大正元年の夏の撮影だろう。 左角の建物は100年以上前の建築らしい。大正元年の陸軍特別大演習時には日本赤十字社埼玉支部出張所となった。 朝ドラ「つばさ」のオープニングにさりげなく映っている建物である。 |
全1ページ
[1]




