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■ひと頃はあちこちの温泉場へ出かけた。四万・熱川・銀山・浅虫・雲仙・霧島・鹿教湯・明治・・・その中でも記憶に残るのが信州白骨温泉。訪れたのは20年ほど前で、あと数日でバスも冬季運休に入る晩秋だった。松本から山深く入っていくのだが、途中のダム湖畔で路線バスが臨時停車して美しい景色を眺めさせてくれたのが忘れられない。 白骨温泉は射的屋などの遊興施設は一切作らず、昔ながらの湯治場の雰囲気を損なわぬ努力をしていたはずである。露天の白濁湯が人気の泡の湯旅館は予約が取れず湯元斎藤旅館に宿泊した。通された部屋は昔ながらの木造三階建。夕食は部屋食だったと思う。同じ信州の某旅館で広島から空輸の生牡蠣が食卓に出てたまげたことがあったが、ここの夕飯は山のものばかりの献立だった。 晩秋の冷たい雨に降り込められて外出もままならず、終日を宿屋内で過ごしたが、それまでにない開放感に浸れた。雨音以外あたりはひたすら静寂。夜、テレビを止め灯を落として床につくと、静寂がいっそう身を包んできて怖いくらいだった。 近年は入浴剤混入で話題を提供した白骨温泉だが、機会があればもう一度泊まってみたい温泉である。 左のハガキは明治41年の鉱泉宿の暑中見舞いで川越の肥料問屋に届いたもの。年賀状もあるのでこの家では黒山鉱泉を何度か利用していたらしい。川越の中心街から外れたところにあった商家なのだが、夏や冬に温泉にでかける習慣があったようである。黒山鉱泉は川越からもっとも近い温泉場だけに、川越エリアからの利用客多かったに違いない。川越・越生間は馬車が通じていたし、越生から黒山までは4人揃えばいつでも馬車を仕立てて便宜を図ったそうである。宿泊料は30銭、昼食は15銭。長期滞在の場合は一泊40銭であった。 この商家には熱海・伊香保の旅館からの挨拶状もあり、また家族が病気療養のため那須温泉に滞在した記録も残っている。交通不便な明治時代に川越の人たちが、どこの温泉へ出かけていたかを知る資料のひとつといえよう。 ●参考資料 黒山鉱泉広告 明治42年
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