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2009年08月27日
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■赤沢仁兵衛の墓 川越地方の甘藷の歴史を語るときに、外すことができないのが赤沢仁兵衛(1873〜1920年)です。傾いた家運につっかえ棒をするため、甘藷収穫の増収を目指し独学を重ねて数倍もの収穫をあげる方式を生み出しました。 伝記詳細は下画像の案内板に譲りますが、墓所は川越市今福の所沢街道と関越自動車道が交わる西の畑地にあります。北は宅地、南は自動車道と宅地に挟まれてたいへんわかりずらいのですが、狭山市堀兼へぬける道側に入口があります。畑のど真ん中に墓があるので入るのが憚れるのですが、入口脇の墓地の案内標識と矢印があるので、玉蜀黍脇の畑道を歩いてそばまで行ってみました。 栽培方法に注目した入間郡役所の役人や村長が、赤沢仁兵衛に世に広く知らすことを奨め、明治43年2月に福原村で講演をし、翌月には栽培法を記した「赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法」が公刊されました。同時に農業雑誌「埼玉農報」にも数回に分けてその内容が連載されました。 さらに「甘藷栽培法実地講習ノ伝」「甘藷三十駄収穫法」「甘藷床ノ造リ方」等の印刷物を随時発行して、栽培法の普及に努めています。 ■参考資料
●川越の人物誌第一集 川越市教育委員会 昭和58年 ●川越市今福の沿革史 新井博 昭和50年 ●埼玉農報 埼玉農報社 明治43年 ●甘藷栽培法の傳 赤沢仁兵衛 明治43年 |
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