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▲この下あたりに防空壕があった。 台風の影響で今日は風が強いですね。
自宅に普段は使用していない部屋がある。頻繁に風を通しているものの、使わない部屋というのは、やはりかすかに埃くさい。
この部屋の下あたりに、戦争中は「防空壕」があった。当時はお茶の樹などが植えれた庭の片隅。家庭用だからそんなに大きい壕ではなかったようだ。関東ローム層のため頑丈だったが、大雨のときに水が流れこんで、非難させてあった家の昔を伝える文書などが全部だめになってしまったという。
周囲は純農村だったが、家からわずか100メートル先に爆弾が落ちたこともあったから、やはり防空壕は必要だったのだろう。自分が子どもの頃には、防空壕の痕跡はまったく無かったが、このあたりで10銭玉を見つけたことがあった。
当時小学生だった父親は、市内の軍需工場の敷地に野ざらしに積まれていた、江戸時代の古銭をたくさんもらってきて、今も手ぬぐいで縫った厚手の袋に入れて大事にしている。
体調を崩して勤労奉仕を休んだため、被爆をまぬがれた女性が、30年後に爆心地近くで建物疎開作業に従事していたクラスメートの足取りを追跡した「広島県女二年西組-原爆で死んだ級友たち(関千枝子/筑摩書房)」は読むたびに、戦争の悲惨さを強く感じる一冊。
今年も昨日から通勤の行き帰りの電車内で読み始めたところ。
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2010年08月12日
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