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■爆撃の記録
この地図は、戦後まもなくに全国主要都市の戦災罹災状況を調査した資料の付図(掲載画像は一部)です。付図のみのため正式な資料名は不明です。
地図内の赤色数字が印されたところが被害を受けた箇所ですが、爆弾を投下されたようです。
▲赤色数字1 「東武東上線川越駅」
付図下段に赤枠で記された概略によると、昭和20年6月3日に爆弾投下され駅ホーム屋根に被害が出たとあます。死傷者はナシとあるのですが、川越市史などには乗客が死亡との記述があります。
▲赤色数字2 「川越少年刑務所」
現在の川越駅西口前には明治に移転してきた少年刑務所がありました。爆撃は昭和20年8月13日で、官舎が焼失し負傷者が出たとあります。軍需工場に間違われたのでしょうか?
川越は空襲こそ免れましたが、爆弾投下などはずいぶんあったようで、たとえば川越高校第三期生還暦の文集「おーぃ楠の木よ(平成6年)」を読むと、市内各所で米軍機による機銃掃射を受けた文章がいくつかあります。
私の自宅からわずか100メートルの畑地に爆弾が落ちたと、今でも父親は言います。当時近くに軍需工場があったので狙われたのかもしれません。郊外でしたが自宅庭には緊急に備えて防空壕もありました。農家ではありませんでしたが、兵隊にとられて耕し手が不在となった親類の畑を耕していたと言いますから、自宅で食べる蔬菜類には困らなかったようです。東京からの買出し客が大勢やってきたそうです。主食などは配給でしたが、酒の配給所がなぜか至近の酒店でなく、何キロも離れた市内の酒店が指定され、小学生だった父親は遠い道のりを歩いて往復したそうです。
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2011年08月13日
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