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■蕎麦に魅かれて善光寺参り
先週の千曲市稲荷山の古い町並み散策の続き。
篠ノ井線に乗って長野駅に着いたのは12時半すぎ。17時までに川越に帰らなくてはならず、15時発の新幹線までは二時間半足らず。中途半端な時間をどうするか? とりあえずは空腹。稲荷山には食事する店はなかった。長野に来たならやはり蕎麦だろうか。すると善光寺門前まで行ったほうがいろんな店があるだろう。ついでに駆け足で善光寺詣でも。
駅前から善光寺大門までは頻繁にバスが発着して運賃も100円。
20数年ぶりの善光寺。前回も春先に来た。
門前はたいそうなにぎわいたが、境内に入ると意外にも人はまばら。あれれと思うくらい少ない。日はさんさんと輝いて背後の山がくっくりと鮮やか。境内のあちこちに残雪があった。
お賽銭を投げていろいろずうずうしくお願いをしお御籤を引いてみた。はじめて見る血液型別お御籤。大吉だったのでホッ。時間が無いので胎内めぐりとかはしなかった。
←昭和初年頃の善光寺
門前界隈の雰囲気がとてもいい。次に来ること
があったら、このあたりを探訪してみたいもの。
あかじめの下調べも、駅の観光案内所でパンフ類ももらってこなかったので、さてどこの蕎麦屋がいいんだろう?
早朝から営業している店を思い出したが、店名がわからない。時間もないので山門を出た左手にあったこちら「尾張屋」に。
あとで調べたら創業百年あまりの老舗とわかったが、庶民的な雰囲気の店。
ざるそば(大盛り)
すでに蕎麦猪口につけ汁が入っているが、別に徳利にたっぷりのつけ汁が一緒に出される。これがうれしい。
つけ汁に蕎麦をちょっびりつけて蕎麦の風味わ味わいながら食べるのが粋だけれど、自分は意地汚いほどたっぷりつけて食べるのが好きなのである。
あわただしく善光寺参りを済ませ、知人への土産を誂えるとあとは駅へ戻るだけ。大門からバスに乗ればすぐだが、微妙に時間が余る。帰りの新幹線は奮発して指定席にしてあるので、ギリギリに乗車すればよいし。
長野駅まで歩いて戻ることにした。
江戸時代創業の老舗藤屋旅館。現在はレストランや結婚式場も併設する。善光寺門前でひときわ目立つ洋風建築は大正13年竣工。
↓こちら戦前の写真
古い建物を活かした門前のたたずまい。
昭和初年頃の善光寺門前市街。 大正末期に道路拡張されて、長野駅方面から善光寺が見えるようになった。突き当りが善光寺。 奥右側に藤屋ホテルが見える。右手前の洋館は銀行。ひとつ上の現在の画像は善光寺を背にして撮影したもので、現在も銀行の洋館があるのがおわかりになるだろうか? 右手の人力車がある土蔵店舗は書店だが、現在は交差点になっている。 写真は戦前発行「最近之長野」より。
アーケード街をぶらぶらしてたら時間が足らなくなってきた。
商店街の途中にある長野電鉄権堂駅から電車で長野駅へ。
長野駅前。かつて駅前だけには何度か降り立ったことがあるが、駅舎も含めて再開発ですっかり様変わりしてしまった。はじめて来たときは長野市の印象はなんとなく暗かった。残雪で街が薄汚れていたせいかも知れない。久しぶりに市街を歩いたらそんな印象は払拭されてしまった。
善光寺門前の「旬粋」という店で、同僚と自宅用に買った、栗の
菓子とプリン。行き当たりばったりで買ったけれどヒットでした。
しっかりと駅弁も購入。帰宅して夜に食べた。うまいけれど千円
は高い・・・
14時58分の新幹線で一路埼玉へ。
飯山市出身の同僚が「新幹線ホームの立ち食い蕎麦はとてもう
まいよー」と後日言っていた。
あたたかくなったら、またどこかへぶらりと・・・・
【おわり】 |
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■懐かしの時刻表
納戸の奥を引っ掻き回したら出てきた「1980年 東武時刻表」 表紙のくたびれ加減で相当年季が入っている代物である。
表紙写真は川越祭り。おそらく1979年の撮影だろう。山車は「元町1丁目」 場所は仲町交差点である。左の蔵造りが松崎スポーツ。背後に現在は撤去された電電公社(NTT)の鉄塔が見える。山車の右脇には「キャバレー鈴人草」のネオン看板も。山車にすっぽり隠れている山吉ビルは当時「月世界」「鈴人草」のふたつのキャバレーだった。この時刻表は第3号なのだが、それ以前の号は見たことがない。
通学に東上線を使っていたので買ったのだが、1987年の有楽町線乗り入れまではそれほど大きいダイヤ改正はなかったと思う。この年代の自分は学生。パラパラめくると覚えのあるダイヤがあった。
■川越駅 6:57発普通⇒7:48着池袋駅
高校通学に使っていた池袋まで各駅停車の電車。当時の朝ラッシュ時は準急と普通のみで、平行ダイヤだったため池袋までの所要時間はほぼ同じだった。森林公園駅始発の準急は川越駅到着時には満員の状態。57分発普通はお隣川越市駅始発だったので、着席は無理だったがドア脇位置が確保できた。上りは川越駅を出ると終点池袋まで左側ドアは開かなかったので、ずっともたれて楽ができた。まれに準急に乗ることもあったが、当時の朝ラッシュ時の上り準急は「ときわ台」に停車していて、「ときわだい!ときわだい!ときわだいでございますー」と早口のアナウンスが流れていた。
いまや鉄道の遅延・不通は頻繁だが、この頃はほとんど無かったと思う。遅延で学校に遅刻した記憶がない。唯一は池袋に着いたら山手線が不通で、友人らと地下鉄で迂回したがあまりの大混雑にくたびれて、1時間目のグラマー(とても嫌な先生だった)をサボったことだけである・・苦笑
■川越駅 9:36発急行⇒10:05着池袋駅
現在池袋駅東口に多店舗展開のビックカメラは、80年代前半は北口の小さい店舗のみ。友人がDPE受付バイトをしていたが、バイトが10時で終わるためこの電車で池袋へ出て友人と合流し、池袋でぶらぶら遊んだ。この頃の急行電車は川越駅を出ると志木・成増のみの停車。カステラ電車(車体がクリームで、屋根がこげ茶色のため)と呼ばれた板張り車両が活躍していたが、揺れが激しいのでスピード感がかなりあった。
ビックカメラで思い出すのはビデオテープ。大学入学時にベータ型ビデオデッキを購入したのだが、この頃の生テープは非常に高価だった。川越でいちばん安かったのはロヂャースだったが、やはりビックカメラのほうが安かった。とは言っても、BⅡ録画二時間半のテープが3150円・・・・ まさに隔世の感
■池袋駅発 23:30発普通⇒24:15着川越駅
埼玉は時給が安いため都内でバイトしていたが、バイト帰りはいつもこの電車。当時急行は池袋駅21時発、準急は23時発が最後だった。バイト疲れの体で川越まで各駅停車で帰るのはきつかった。今より本数も少なく、30分発森林公園行きは、川越市以遠の最終電車だったため混雑をきわめ、車内トラブルが多かった。隣の車両で泣き止まぬ赤ん坊に酔い客が怒り、騒動がおきたことがあった。「赤ん坊の泣き声は音楽なんだー!!」と酔い客に説教している声が聞こえてきたのを覚えている。
男二人が口喧嘩をはじめたが、そのうちに意気投合して途中下車して居酒屋へ行ってしまったこともあった。年末ともなると圧死しそうなくらい混んで、毎晩大幅に川越着が遅れた。
そして自分はこの電車内で、網棚に載せた小型カバンと盗られた。文庫本に夢中になっていたのである。翌朝早くに某駅から電話があり、財布の中身を抜き取られてトイレに捨てられてたカバンは戻ってきた。以来、網棚にカバンを載せることをほとんどしなくなってしまった。
思い出すとキリが無い。
さて、こちらは最新の時刻表。かつては東武全線掲載だったが、今は東上線のみ掲載の時刻表である。大きさもポケットサイズで携帯に便利。
今日5日から東上線はダイヤ改正。TJライナーの増発・急行準急の等間隔運転などが目玉である。川越駅ー池袋駅利用者しては、昼間の急行の池袋ー川越間の所要時間が30分になって以前の水準に戻ったのがちょっとうれしい。途中駅での停車時間がやたら長かったりして全然急行らしくなかった。もっとも上りの急行は相変わらずちんたら走っているが。
よく見ると、なんと通勤に利用している電車の時刻がずれている。これでは職場に間に合わない!! 来週からは少し早めに家を出ることに・・・トホホ
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