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17日の川越駅前
東日本を襲った震災から11日で一年がたちました。地震発生時、自宅の空き部屋の壁にかけてあった複製画を入れた額が、縁を残して中身が落下したのですが、じつは今もそのままにしてあります。地震を忘れないためなどの強い気持ちからではなく、なんとなく片付ける気にならないのです。なぜだろう?と自問自答してみるのですがわからないのです。震災直後半月ほどは電車に乗ると、春の暖かい陽射しが差す中、誰もが黙りこくってどんよりとした雰囲気が漂っていましたけど、静かな空き部屋に入ると、あの時の電車内の雰囲気をよく思い出します。
さて、今日3月17日は、明治26年の同日に川越の中心街が焦土と化した「川越大火」が起きた日です。昭和初年に小学生だった方がお祖父さんから聞いた話では、自宅のあった志義町(今の仲町・商工会議所があるあたり)から喜多院が間近に見えたそうです。
各地からたくさんの義捐金が集まりました。
これは当時の義捐金名簿です。県南の講中団
体の人々たちの救援の記録です。
天皇皇后両陛下からもお見舞金があり、その一部で再建された時の鐘は、太平洋戦争時に鐘の供出を免れた話は有名ですが、各地の多くの人からの救援が、大火で途方に暮れる川越の人たちを力付けたのです。
でもやはり胡散臭い話はあったようで、義捐金の用途に関して町長が糾弾されたりしたようです。
しばらく前の新聞記事に、これまでに集まった東日本大震災への義捐金の総額が出ていましたけど、公平に大事に有意義につかってもらいたいものですね
川越大火を記録した写真は残されていないようですが、昔の火災の写真ということで大正2年に発生した東京神田の大火を伝える写真をアップしておきます。
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2012年03月17日
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