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雨の新橋。 ▲なにやらインタビュー撮影中でした
浜松町でランチ取ろうと思ったのですが、食べたいメニューがみんな終了でした。で、お隣新橋へ移動。駅前のニューしんばしビルの飲食店街へ。スパゲティ&オムライスの「むさしや」はサラリーマンの列だったので、即あきらめて他の店を物色。
ぶらっと入ったのはこちら
夜は居酒屋。昼は食事専門の店。
地下はこういう店が大半です。でも閉店した店がかなりありますね。
客扱いはお手のもの、ざっくばらんにしゃべる女性たちが切り盛りしています。
カレイの煮付けは、直前で売り切れ。
半端な時間ともなれば仕方なし。
「今日はもうサバ塩とサンマ、あと揚げ物しかできないのー。から揚げとコロッケね」
サバ塩焼き定食にしました。
塩加減がちょうどいい塩梅。
「おかわりしてねー」
と言われたけれど
ご飯は一杯で充分でした。
和食はやっばりいいですね!
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群馬の小さな城下町小幡へ行ってみようと思ったのですが、もう少し暖かくなってからにしました。早春の半日旅はおもいつきで本庄市へ向かうことに。同じ埼玉なのに今まで訪れたことが無いのです。平野の川越に住んでいると、どうしても地形に変化あるとこに興味ひかれやすく、秩父や信州方面へ嗜好が偏っています。また鉄道を使うとなると川越から県北へはアクセスがちょっと面倒なんですね。大宮へ出て高崎線で行きましたけど、1時間半(乗り換え時間含)ほどかかりました。
本庄駅前。地方小都市の景観です。なんの下調べもせずにや
ってきたので、駅に観光パンフでもないかなと期待していたので
すが・・・ありません。江戸時代中山道の大きな宿場町であったこ
と、近代は生糸で栄え製糸工場がたくさんあった町であったくらい
の知識のみ。駅前の大雑把な地図板で見どころチェックして、さあ
街歩き!
駅前通りはすぐにのどかの景観になってしまいます。人も車も
少なし。
いいですねぇ昭和の香り。ひなびた町には理容店が不思議と多いように思います。このあと歩いているとあちこちにありました。
理容店の筋向いあたりには、字の形もまたいい「大衆食堂」の黄色い看板が。廃業されたようですが、駅が現在よりも重要性を持っていた時代には、きっと駅前通りで流行ったんでしょう。
中山道へ出て左折、本庄のかつての中心部へ。
こういうのどかなやさしい雰囲気は川越には無いですね。
このお宅は背後に土蔵などがずらりとあってすごい。
かつてのメインストリートもシャッター商店や空地が目立ちます。
今や買物は自動車で郊外への時代。川越もジワジワとその波が
押し寄せている気がします。
これはコンビニの跡っぽい。そういえぱ本庄でコンビニ経営をして
いた方のたいへんな苦労話をどこかで聞いたことを思い出しまし
た。今や街中の立地もたいへんらしいです。
あっ残念!仲町郵便局修復工事中でした。昭和初年のモダンな建築なんですが・・
建築当初の写真はこちら↓当時は本庄郵便局
これは昭和10年頃の本庄市街。右が郵便局です。左の「赤か
んばん」は熊谷に本店のあった衣料品店です。
さて、たどり着いたのは「本庄市立民俗資料館」 この素晴らしい洋館は「旧本庄警察署」として明治16年に建てられたものです。明治10年代の洋館なんて川越にも残っていません。入館は無料です。スリッパに履き替えて内部へ入るとなんとも懐かしい匂い。昔の川越市立図書館の雰囲気を思い出しました。外観は建築当初の姿に修復されています。見学を終えて出るときに、入れ違いで若い母子が中へ入っていきました。
往時の写真もアップしましょう。
個人蔵の写真です。資料館でもらったリーフレットに建物外観の変遷図が出ていたので、照らしあわせて見ると、塀や樹木で判別がむつかしいのですが、一階右側の窓がひとつなので大改修される明治44年以前撮影のようです。*画像は実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
資料館敷地にあるこの建物は、警察へ面会に来た人の待合室
に利用されたもの。
資料館から北へ5分ほど歩いたところにあるこちらは結婚式場
でしょうか?ここにはかつて「五州園」という施設がありました。
町の人が憩う園地だったようです。
明治頃の五州園がこちらの画像↓
個人蔵写真*実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
五州園跡脇の坂道を下ると小さな流れがあって、寺坂橋という古い橋が架かっています。画像ではわかりませんが石組みの素敵な橋です。 明治末期頃の同じ場所はこんな感じでした↓
個人蔵写真です*実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
のんびり本庄散策、まだ続きます!! |
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