|
■豆腐屋の源さん
「婦人子供報知」は、昭和初年の報知新聞日曜版の附録です。附録といえどもA4サイズで40頁弱のりっぱな冊子。題名からもわかるように、クイズ・皇室の話題・家庭医学・芸能・漫画など婦人子供向けの内容で、価格は月々の新聞代に含まれていました。「のらくろ」で有名な田河水泡「蛸の八っちゃん」が連載されています。
この雑誌に川越の話題が出ています。
「事実美談 源さんの講談孝行」という話
川越の町外れに源さんという若い男が盲目の母親と暮らしていた。母親の楽しみは源さんに講談本を読み聞かせてもらうこと。毎晩大きい声で読むので近所でも評判になっていた。しかし日雇い職ゆえ、毎日の米にも不自由する生活だった。
ある日、川越猪鼻町の豆腐商美濃屋の主人が尋ねてきて、母親とともに住み込みで働かないかと言ってきた。主人はたまたま通りかかって講談本を読む源さんの声を聞き、自身も講談好きだったことから毎晩こっそり聞いて楽しんでいたのだが、母子の窮状を知って手を差し伸べたのである。源さんは美濃屋で七年間懸命に働いて独立し、川越でも指折りの豆腐屋になった。また母親が亡くなるまで27年間にわたって講談本を読み聞かせたことから、昭和4年に文部省から表彰された。
講談本とは政談や戦記物など、主に歴史に関する内容を本にしたもの。たしか川端康成「伊豆の踊子」で踊子が講談本を読んでくれとせがむ場面があったと思います(映画のシーンだったかもしれません・・)
このとき源さんが母親に読んでいたのは「義士銘々傳」で堀江安兵衛の高田馬場の決闘です。
この話は明治36年5月のこと。同35年発行の「埼玉県営業便覧」で調べてみると、猪鼻町通りに「生糸繭製茶豆腐商 美濃屋 峰岸傳吉」がありました。本文では名前が儀助となっているのですが、仮名を用いたのでしょうか。
かつて猪鼻町の名称だったあたり。現在の大正浪漫夢通りです。「埼玉県営業便覧」の位置情報が正確であれば、豆腐商美濃屋は左のシャッターをおろした空き店舗のところになります。昭和10年頃の案内図では所有者が変わって履物店になっていました。近年までは萬花堂化粧品店だったと思います。
そして源さんの豆腐店はどこかというと・・これがわかりません。源さんの本名も掲載されているので、昭和初年の川越商工名人録をたぐってみたのですが、該当はありませんでした。もしかしすると仮名なのかもしれませんが・・
|
過去の投稿日別表示
-
詳細
2012年04月20日
全1ページ
[1]
コメント(6)
全1ページ
[1]



