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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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■「熊谷と八木橋の歴史展」 八木橋創業115年特別企画展
 
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 かつて短いながらも熊谷に関わった時期のある自分にとって、熊谷は地元川越についで愛着を感じる町。機会あれば熊谷に関する本などを読んだりしていたが、新聞記事で「熊谷と八木橋の歴史展」開催を知り、なんとか都合をつけて熊谷へ出かけた。
 
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 八木橋は熊谷を代表する百貨店。初代は行田の商家の養子となり、さらに隣家の呉服店へ丁稚奉公へ出され、認められてその店の娘と結婚し、のれん分けで1989年(明治30年)熊谷へ店を出した。 昭和初年から着々と百貨店形態へ転換を進め、1961年(昭和36年)に百貨店法によって認可された百貨店としては埼玉県最初となった。ちなみに川越の丸広百貨店が認可されたのは、新富町へ移転新築開業した昭和39年のこと。
 
 展示されていた八木橋及び熊谷の資料は、貴重なもの珍しいものが多く素晴らしい内容であった。昭和40年代頃の売り出し広告は市民からの提供が多く、見れば捨ててしまうであろうチラシ類をよく取ってあったものだと思う。
 八木橋は空襲で店舗を焼失しているが、三階建てだったという店舗の写真は「株式会社八木橋九十年史(1987年)」にも出ておらず、どんな外観だろう思っていたのだが、その店舗写真が今回展示されていた。全景ではなくて二階までが写った正面部分だが、なかなかモダンな建物なのである。さらに店内写真もあった。店内中央に幅広の階段があって吹き抜けになっている洒落た造りなのである。
 
 熊谷関連の資料は、明治40年頃の熊谷の風景を写したアルバムが圧巻。保存状態も最良で鮮やかに明治の熊谷が写されている。熊谷資料についてはいずれ別項で。
 

【川越スケッチブック特別企画】
 
 会場の展示物は撮影禁止のため、ここで紹介することができませんが、
 総力結集?で八木橋関連の資料をご紹介。 ※いずれも展示品ではありません念のため。
 
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 ▲明治から大正初期頃のチラシ
 八木橋の売り出しはたいへんな盛況だったという。その人出を当て込んで、近隣の商家も商品補充をして売り上げアップを目論んだとか。
 朝6時開店とは驚き!
 
 昭和初年に洋服を扱いはじめ、昭和10年頃には1階で毛糸・タオル・メリヤス・帽子・紳士洋品・ショール・洋傘・呉服、2階で毛糸・毛布・カバン・靴・既製服・呉服を販売していた。
 
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                    ▲御得意様案内 昭和30年前後か?
 
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 戦後まもなく建てた店舗 
 「熊谷展望 昭和25年度版(埼玉商工新聞社刊)」の裏表紙に掲載された広告の写真。
 写真には「八木橋百貨店」とあるが、会社名は「八木橋呉服店」であった。京呉服・洋品・雑貨・化粧品・文房具・玩具・家庭用品・履物・婦人子供紳士服が扱い品で、年中無休であった。
 
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 昭和37年頃の八木橋。
 右奥の建物が八木橋で、増築工事中らしい。 左の建物はマルゼン百貨店(現在カノーヤ)
 熊谷市勢要覧「熊谷(昭和37年)」より
 
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      昭和37年頃の八木橋店内の様子(熊谷市勢要覧「熊谷」昭和37年より)
      店内は吹き抜け部分があったらしい。大勢の買物客でにぎわっている。
 

 
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      一番街から見た八木橋

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