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週刊文春の「名作温泉」という記事に、映像や文学の舞台となった四ヶ所の温泉が写真入りで紹介されていた。群馬県四万温泉積善館(アニメ・千と千尋の神隠し)、長野県白骨温泉湯元斉藤旅館(小説・大菩薩峠)、岩手県鉛温泉藤三旅館(小説・銀心中)は訪れたことがありとても懐かしかった。
鉛温泉は1989年の6月に泊まった。以前に映画「銀(しろがね)心中」を見て、その後に田宮虎彦の原作を読んだ。夫の出征中に妻が夫の甥と気持ちを通じてしまう。夫の戦死の報が入り、終戦後甥と新しい生活をはじめたところへ戦死したはずの夫が帰ってくる。妻はどうしても甥を忘れることができない。姿をくらました甥を追って銀温泉(鉛温泉)へ行き悲しい結末を迎える。1956年の作品で監督は新藤兼人。妻を乙羽信子、甥を長門裕之、夫を宇野重吉が演じた。映画のシーンはほとんど覚えていないが、物悲しい音楽が印象的だった。鉛温泉を選んだのは「銀心中」が頭にあったからかもしれない。
花巻駅からバスに乗り、大沢・志戸平の小さな温泉を経た奥に鉛温泉はある。バス停から急坂をおりたすぐのところに藤三旅館はあって、流れに面した古い大きい宿。部屋は本館の2階か3階だったと思う。朝夕とも部屋食で品数は多かった覚えがある。シーズンオフだったのか宿泊している人も少なく、山峡ということもあって夜は窓の外の川の音だけ。たしか河鹿が鳴いていた。
じつはこの温泉には大きな悔いを残している。それは宿自慢の「桂の湯(別名白猿の湯)」に入浴しなかったこと。
入口から長い階段を降りたところに深い湯船があり、立ったまま入浴するのである。足元は岩盤でかつては平行する川の底であったという。
こんな素晴らしい風呂に入浴しなかったのは「混浴」だったから。部屋に落ち着いてさてひと風呂浴びるか〜と友人とでかけてみると、わいわいがやがやとにぎやかな声。廊下の窓からひょいと覗いてみたら女性の集団であふれている。おばあちゃんばかりだったが、とてもその中にお邪魔する勇気はなかった(笑) 1時間おきくらいに様子を見に行ったが常におばあちゃん軍団に占領されていた。ならば真夜中なら大丈夫だろうと深夜1時頃に行ってみると・・・やはりおばあちゃん軍団がアハハオホホとにぎやかに入浴していたのである。挫折・・
藤三旅館には自炊棟があり、桂の湯はそこにあったので気ままに自炊宿泊しているおばあちゃんたちが常に入っていたのかもしれない。自炊棟の建物はかなり古びていたが、食料品や雑貨を扱う売店があった。理髪店もあったように思う。
桂の湯はあきらめたが、この宿には他にふたつの大浴場があってそっちで存分温泉を味わった。どちらもガラス越しに川を望んで気持ちがよかった。
このカラー写真は旅館が宣伝用に発行した昭和40年前後くらいのもの。1989年当時もほとんどこのままだった。今も変りはないのだろうか。
▲藤三旅館 赤い屋根が旅館棟 水色の屋根が自炊棟 右の道には昭和40年代まで花巻から路面電車があったという。
▲円形の建物は「アトミック風呂」で男性用。
▲逆から撮影したもの。真ん中の建物は建て替えられていたと思う。手前の三角屋根がおそらく「竜宮の湯」
訪れた1989年当時の案内書には「女性専用」になっているが、ここにも翌朝入浴している。曜日か時間帯で分けていたのだろうか。
友人とでかけた鉛温泉の旅は一泊だった。1日目は新幹線で仙台へ行き、まずは仙山線で山寺へ行った。えんやこらと登った山寺からの眺望と、境内で売られていた真っ黒な玉こんにゃくの煮しめた香りが記憶に残っている(食べなかった) 仙台から花巻までは東北本線の鈍行で行ったと思う。2日目は中尊寺と毛越寺を訪れた。2日間とも素晴らしい快晴に恵まれた。中尊寺へ歩く途中の青葉、毛越寺の池面を微風が渡ってさざなみがきらきらと陽光に輝いていたのは今も鮮やかな記憶である。当時は8ミリビデオに凝っていて、藤三旅館をはじめとして立ち寄った名所旧跡を撮影したが、カメラが壊れてしまって今では見ることができない。
ちなみに雑誌に紹介されていた白骨温泉湯元斉藤旅館は1987年晩秋のもう数日後にはバスが運休するという時期にでかけた。雨に降りこまれたが歓楽要素のない温泉場は紅葉が言葉もでないくらい美しかった。そして四万温泉は1988年3月に訪れたがちらちらと雪が舞い、小さな食堂でイワナの刺身を肴に熱燗で雪見酒と洒落込んだ。泊まった積善館の素晴らしさは言うまでもない。
どちらも忘れられない温泉である。 |
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2013年04月28日
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