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昭和34年に発行された「日本商工業別明細図内 川越市・飯能市(東京交通社)」です。
地図に商店や会社を載せた便利案内図で、主に東京交通社の発行になるこのような地図は川越においては大正11年・大正13年・昭和5年・昭和7年・昭和17年・昭和31年のものが存在します。埼玉県内の都市の中ではおそらく一番発行が多かったとおもわれます。
さすがにこれ以外には無いだろうと思っていたところ、なんと昭和34年版が確認され驚きました。
表紙の時の鐘の写真は、昭和初年に川越市が発行した名勝絵葉書に着色して使用しています。飯能の写真も飯能市発行の感光リーフレットの表紙をそのまま使用しているようです。
一枚図で川越市がメインの案内図です。裏面は協賛の商工業者が分野別・市別に掲載されています。商工業明細図とはいうものの会社や工場の記載が多く、商店などはあまり載っていません。それでも当時の川越の様子を知るに貴重な資料でしょう。
地図の一部です。掲載されているのは川越市
中心部のみです。縮尺などはあまり当てになり
ません。
市内中心部。現在の商工会議所の建物はこのころ埼玉銀行南支店であることがわかります。鶴川座・鏡山酒造・中央通りと広小路交差点にあった富士銀行など懐かしい名前が見えます。
川越駅周辺。
終戦直後に西口駅前に置かれた国家警察が、この地図では川越警察署分署になっています。のちには南公民館になりました。少年刑務所もあります。東口には川越映画劇場の名が見えます。現在の川越マインのところにあった映画館ですが、それほど長続きはしなかったようです。
懐かしいと思ったのは「川越ドックプール」 川越駅西口から所沢街道を南に行った中台ありました。八雲神社の近くです。
野犬などを保護した施設と思うのですが、昭和40年代にもまだあって家の飼い犬が行方不明になったときにここにいるんじゃないかと近くまで行ってみた記憶があります。
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2015年01月25日
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コメント(2)
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30人余りの行列のラーメン店に並ぶなんて普段は遠慮するけれど、
この日は時間がたっぷりあった(笑)
新宿駅南口から歩いて5分ほど。
その昔、京王電車が地上を走っていた頃の線路跡の道筋に面して「風雲児」
はあって長蛇の列ですぐわかる。
着いたのは昼直前。最後尾につくとすぐに後ろに列が伸びていった。
昼休みを利用してやってきたサラリーマンたちは、列に驚いてこりやだめだと別 の店へ行ってしまう。
店内はうなぎの寝床のよう。カウンターのみでラーメンをすするその後ろに
ずらりと並んで待つ。でもネットの情報どおり列はどんどん進んで着席ま
で20分ほどだった。
流れるラジオの音声に混ざって、ずるずるちゅるちゅると麺をすする音が
なんとも言えないリズム感。
頼んだのはつけ麺(800円)
値段そのままで麺は大盛りもオーケー。大盛りを頼む人多し。自分も大盛り
にすればよかったとちょっと後悔。
濃厚鶏白湯と魚介のダブルスープはドロリとして、中太麺がよく絡んで
おいしい。残ったつけ汁もほとんど飲み干してしまった。
画像のスープは汁の中にメンマやチャーシューが沈んでます。
10代の頃に芸能界にいたという店主の、待ち人さばきの手際よさとフレンド リーな接客もネット情報どおりだった。
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