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■レンタルレコード店
学生時代に所属していたサークルの特色のひとつは、サークルで一軒家を借りていたこと。米屋の倉庫の二階で、台所と和室六畳・八畳の間取り。トイレは一階で、風呂は銭湯利用。家賃は一年生以外の部員が負担していた。サークル活動以外での懇親を深めるため、代々ここに2人の二年生(男子)が住み、24時間いつでも部員が訪れていいようにしていたのである。入居者はプライベート無しだったからよほどの覚悟がいる。毎年すったもんだして、自分が一年生のときにここに住んでいたのは先輩のHさん一人だった。
講義が終わると毎日誰かしらここを訪れてたむろしていた。何人もやってきてそのままオールでおしゃべりコースは毎度のこと。酒気帯びでどえらい騒ぎ方をして真夜中に近所のおばさんに怒鳴り込まれたこともある。
あるときぶらりと訪れたら、Hさんが散らかった部屋で大型ラジカセで音楽を聴いてくつろいでいた。心地よいサウンドだったが、これが大滝詠一のアルバム「ナイアガラ」だった。行く度にHさんが聴いているので自分も馴染んでしまい、さっそくレンタルして録音した。そのカセットテープは今もある。
アルバムを借りたレンタルレコード店は本川越駅そばにあった「G7(ジーセブン)」である。1980年に東京三鷹に開業したレンタルレコード店「黎紅堂(れいこうどう)」は話題になって、各地に瞬く間にレンタル店が出現した。川越最初のレンタルレコード店「G7」は翌年4月の開店。同年6月時点で全国のレンタルレコード店は500店だったという。会員第一号になるぞとの野望を抱いて(若い!笑)オープン時間よりかなり早めに駆けつけたら、もうオープンしていて店内は盛況だった。
サンロード(現クレアモール)の河智屋米店(現セブンイレブン)2階に2号店がオープンしてからは、川越駅から近いのでこっちを利用した。画像のメンバーズカードはその頃のものである。学生寮に入っていた友人がうちへ泊まりに来ると必ずG7へ行き、新譜のシングルレコードをたくさん借りて、うちのステレオで録音していた。
社会人になるともっぱら都内のレンタル店を利用するようになり、G7がいつ頃まであったかは覚えていない。川越では旭町の国道16号沿いにあった清水屋家具プラザ内のレンタルレコード店も利用したことがある。
「黎紅堂」のサービス券
学生時代の雑多のものを詰め込んであるダンボール箱に入って
いた。黎紅堂へ行った記憶がないのだが・・・・
高校時代のクラスメートは開店当時この店をさっそく利用した
ひとりである。
レンタルレコード店の最初と言われる「黎紅堂」だが、ウイキを
見たら黎紅堂以前に嚆矢の店があったとのこと。
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なつかし
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コメント(10)
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■一応、現役です
懐かしい黒電話。我が家ではまだ一応現役です。
電話をひいたのは昭和44年。当時の契約書を見るとかなりの高額です。注意事項には、金額の振込み日が指定され、午前10時から1時間以内に釣銭の無いように準備して振り込んでくださいと案内されています。
親戚中でもいちばん早かったようです。仕事に使うためだったのでしょう。電話は父親の事務机に置かれました。
中学生の頃だったか、頻繁に間違い電話がかかってきた時期がありました。いつも同じおばあさんで、おもむろにラーメンを注文するのです。調べてみると市内の某食堂と番号が一番違いなのでした。うちは○○軒じゃありませんよと言ってもかけてくるので、あるとき父親が「はい承知しました」と注文を受けたことがありました。その後かかってきたかはわかりません。
この黒電話、現在はもちろん脇役です。メインのファックス付き電話は居間にありますが、今となってはけたたましい音が耳障りな黒電話は、誰も使わない部屋に追いやられ、記念的な扱いで静かに余生を送っています。
画像の電話横にあるのは昭和44年に発行された川越市の電話帳です。表紙も裏表紙も取れてボロボロですが、なんとなく捨てられずに取ってあるのです。
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川越画像が底をつきかけているので、今回は横道逸れます。笑顔の女性がとてもいいのでアップしてみたのは「モノゲン」のリーフレットです。 モノゲンは1935年(昭10)に京都第一工業製薬から発売された国内最初の合成洗剤。当初は「DK300番」という商品名だったそうです。1937年(昭12)にモノゲンと改称されました。このリーフレットはその頃のものです。 以前は我が家でも洗濯機そばにモノゲンが置いてあったものですが、最近はとんとその姿を見ない気がして検索で調べてみたところ、2006年(平18)に製造終了となっていました。 |
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夜の本川越駅の画像。 今月はじめに撮影したのですが、使うあてなくそのままになっていたもの。Youtubeを検索していたら二葉あき子の『夜のプラットホーム』の動画があったので、無理やりここに登場させてしまいました(笑) 昭和22年のヒット曲です。林芙美子の小説「茶色の眼」に主人公の妻の妹がこの歌を口ずさむ場面がありました。 戦後発売にもかかわらず出征兵士を見送る歌であるのは、昭和14年につくられて発売禁止になったからです。そのときレコードに吹き込んだのは淡谷のり子でした。彼女が歌っている動画もあってとても素晴らしい歌唱なのですが、ここはやはり二葉あき子で。 二葉あき子の「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」も好きなのですが、いちばんは「恋のアマリリス」 原節子主演の映画「青い山脈(昭和24年)」のたしか前編の主題歌だったと思います。有名な藤山一郎の歌う「青い山脈」は後編の主題歌のはず・・間違っているかも。 残念ながら「恋のアマリリス」の動画はないんですよね・・♪姉と呼びたき師の君も なやみたもうか恋の夜は♪ メロディーがいいんです。
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