|
今月で51年の歴史を閉じる川越市民会館。
小学校6年生のときに合唱コンクールだかの催事で舞台に立ったことを覚えて
います。担任が音楽専攻だったためクラス全員での出場でした。袖から舞台へ
出たときのドキドキ感は今もよみがえります。歌は「夢をのせて」でした。
閉館記念として館内が無料公開されたので出かけてみました。
※無料公開は6月29日(月)午前9時〜午後5時にも行われます。
があったのを覚えています。
から覚えてないんでしょうね。
閉館を記念して、市民会館で公演した南こうせつ・坂本冬美・ベン
チャーズら芸能人のの色紙が展示されていました。希望者に抽選で
頒布されるそうです。
川越出身の画家、岩崎勝平の絵画です。
なんかレトロ。丸の内線御茶ノ水駅ホームくらいでしか見かけな
いです。
後ろの右手後方に座ったことがあります。たしか川越高校の生徒が
小学生に楽器演奏をしてくれたイベントでした。
ライトで客席があまりよく見えませんでしたが、えらく緊張しまし
た。校長先生も付き添いでいて、帰りに喜多院に寄って「菊人形展」
を見ました。それは予定外のことだったので校長先生の興味だったの
か?・・笑
舞台裏手の楽屋。狭い通路に面して個室や洗面所などがあります。
画像は大部屋のようで、利用する人のためのお茶や菓子類が置かれ
て再現してありました。川越市民会館でよく公開録画を行った「8時
だよ全員集合!」や「カックラキン大放送」の出演者たちもここに控
えていたんですねぇ。子どもの頃はこの公開録画へ行きたくて仕方あ
りませんでした。
舞台袖。歳月の経過で舞台はわずかに傾斜していて
ボールを置くとひとりでに転がるとスタッフの方が話
してくれました。
今日28日、開館記念事業として式典・杮落しなどが行われました。
【閉館記念特別企画】
川越市民会館が建つ以前は、ここに「川越会館」がありました。川越実業
組合によって明治35年に建てられ、公演や集会など様々な催事に使用されま
した。往時の川越会館の写真を二枚ご紹介しましょう。
明治末年頃の川越会館です。会館の一部を川越商業会議所(現在の
川越商工会議所の前身)が使用していました。大広間のある和風建築
で、市民会館建設にともなって玄関と大広間は宮下町の氷川神社に
に移築され、昭和60年代まで使われていましたが現存しません。
館の撮影ですが、撮影年代は不明です。左手の二階家も会館の付属
建物なのでしょう。人々の後ろに低い松がありますが、この松は今
もちゃんとあります。
それがこちら↓
将来が気になるところです。
|
川越の建物
-
詳細
コメント(8)
|
▲小林家住宅全景 右側レンガのアーチを入り敷石を踏んで歩むと小さな文庫蔵が。
川越市幸町の川越市指定文化財「小林家住宅」 明治26年に建てられた店蔵は、隣の
埼玉りそな銀行の洋館とみごとに調和して、古い家並みのハイライトのひとつ。かつては呉服太物卸問屋を営んでいました。店蔵と続く住居部分は現在テナントとして物販店となっており、利用がてら内部を皆間見ることができます。
しかし敷地奥にある明治16年に建てられた「文庫蔵」は普段は未公開。これが11月1日から小林家によって一般公開(無料)されています。こじんまりした土蔵の中に老舗商家のさまざまな資料や生活道具類が大切に保管されているのです。それらを間近で見るとのできる4日間、とても貴重な機会です。
見学会を訪れるのは今回で三度目くらいですが、店舗を写した明治の古写真・贈答品に使われた鶏卵の化粧箱・大福帳・染め型紙・下駄・戦前の映画館番組案内などたくさんの品が遠いいにしえの世界に導いてくれます。期間中は小林家の方たち総出で訪れた人を迎えてくださり、ていねいな説明をしてくれます。私もはじめてお話することができ楽しいひとときを過ごさせていただきました。
見学会は11月4日(月)までです。川越の古い商家の蔵のうちそとをじっくりと見ることのできるまたとない機会です。秋の1日にぜひ!!
▼川越・小林家住宅HP▼
▲文庫蔵 川越大火(明治26年)の焼失をまぬがれた。
▲文庫蔵内部(階下)
▲箱膳 これでいっぺん食事をしてみたい!!
▲階上の床の一部。 取り外し可能で階上からロープで荷物を下ろしたのだそう。すぐそばに小さな窓があり、階下へ自然光を届かせる役割もあったのだろうか。
階上へは急な傾斜のはしご段をあがる。「まるで犬山城みたい」とあがってきたご家族は愛知から来た方たち。6年前くらいに行った犬山城の階段で苦労したことを思い出した。
▲染物の型紙。たいへん貴重なものだそうです。緻密な
デザインに圧倒されます。
昭和10年前後の東京の映画館の館報。当時大人気だっ
たエノケン(榎本健一)主演映画のもの多し。エノケンは幼少
時代を大宮の川越寄り地域で過ごしている。
会場では「明治時代の双六で昔の町を見てみよう」のテーマ展示も。
▲「武州川越町勉強家案内寿語六(すごろく)」の実物が展示されている。明治34年暮れ
に川越の有力商店一同が製作したもので、宣伝を兼ねて正月の娯楽用に御得意様に差
し上げた非売品。商店ごとの拡大コピーが展示されていて当時の川越の商店を知ること
ができる貴重な資料。川越ではこういう双六は昭和初年まで何度か作られた。
▲当時の小林家店蔵
▲すごろくを包んだ凝ったデザインのたとう。
(これは展示品ではありません。個人蔵です) |
|
■御歳84歳?
川越市仲町にある「NTT東日本川越仲町ビル」 これといって特徴のないどこにでもある現代の建物にレトロなほどこしをして小江戸川越にふさわしく化粧って(けわって)いるが、侮るなかれどうやらこの建物、生まれは戦前らしいのである。
もう5年くらい前のこと。調べごとで戦前の新聞(マイクロフィルム版)を見ていたところ、川越市街地の写真が出ていた。第八十五銀行(現埼玉りそな川越支店)屋上から南方を撮影したものだったが、山吉デパート洋館の右
方に白亜のビルがあってびっくりした。印刷が粗悪だが、いったいなんの建物だろう?
←左端は山吉デパート
写真からおおよその位置は把握できるので、あるとき仲町を通りかかったときに確認したところ目にとまったのがこの建物なのである。しかしどう見ても戦前の建物に見えなかった。せいぜい建てられて40〜50年じゃないかと思っていた。川越関連の古写真集をあたってもこの界隈の写真は無く、どうでもいいやと思ったが、昭和30年頃に連馨寺境内を撮影した生写真に、家屋の向こうにこの建物の塔屋が写っているのを見つけ、これはやはり戦前からあったんじゃないかと。
たしか図書館に「川越地域の電話抄史 電話交換手のあゆみ(1996年)」があったことを思い出して、読んでみると志義町交差点から移転新築し、昭和5年に共電式電話に切り替えとしかない・・昭和11年に熊谷郵便局が共電式変更時には庁舎も新築しているので、川越も切り替え時の昭和5年新築かと思ったが記述はどうもあいまいである。また現在に至るまで取り壊したり、改築したという記述もなかった。
次に「川越商工会議所75年誌(1978年)」の年表をたどったら、昭和4年に「川越郵便局、電信電話施設を併せ新庁舎完成移転」があった。どうやらこれが正しいようである。新築落成時に記念えはがきが出されているが、発行年の記載がないのが残念。あれば新築年がより確定できるのに。さらにこのえはがきは木造の郵便局庁舎をメインに写しているためついつい見逃してしいたが、よく見ると郵便局庁舎の向こうに電話局の鉄筋ビルも写っていたのである〜
↓記念えはがき写真を部分拡大したもの。右が郵便局庁舎(現存せず)、左が電話局庁舎
↓土蔵風の改造で窓もなくなり、塔屋部分などが高くなっている おそらく建物設計は当時の逓信省経理局営繕課と思われる。役所建築だからデザインも愛想ないが、当時のままに残っていたらそれなりに貴重な建物かもしれない。
余談だが「川越地域の電話抄史」を読んだら、昭和20年代の川越地域での火災通報は119番ではなかったとあった。受話器を取って電話交換嬢が出たら「火事です!」と告げると、交換嬢が即座に消防署へつなぎ
、それから火災の場所を伝えるという方式だった。 |
|
道路拡幅工事が進む中央通り。立ち退いた空地が目立つ中、古い味わいある建物がいくつか残っている。
この建物は田中帽子店。中央通りが開通したのは昭和のはじめであるから、その頃に建てられたのだろう。
帽子の歴史をひもとくと、大正末期から昭和10年代にかけてが帽子の最盛期だったという。どこも製造販売を基本としたが、この田中帽子店も当時の営業案内をみると製造を手がけている。一般の帽子はもとより、消防用・学生用・鉄道用・軍人・青訓(青年訓練所?)と幅広く扱い、修繕も迅速とある。
昭和7年の川越市街地図には、札の辻近くにも帽子店があるが、戦前の川越に帽子専門店はいくつあったのだろう。戦後の昭和40年頃でも確認できたのは3店のみである。
数年前まで、ウィンドーに帽子が飾られ、ガラス戸越しに帽子の陳列された店内の木枠のショ
ーケースが見えた。
二階の窓がとてもいい。
大正末期〜昭和初期頃の浅草六区 帽子をかぶっている人多し!
|






