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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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 ■蔵造り商家が軒を連ねる一番街から離れた仲町の通りにあります。明治27年の建築で、足立屋の屋号で米穀商を営んでいました。戦前までの川越は米の集散地で、当時は志義町と呼ばれたこの通りの両側には、米市の日にはおびただしい米俵が積まれてにぎわいました。

 1軒でポツンと建っているせいかかなりの迫力を感じます。昭和30年代には、この店前で映画ロケも行われました。

☆旧山崎家別邸が10月17日〜11月1日特別無料公開☆

◎市指定文化財・旧山崎家別邸 川越市松江町2-7-8

■今月になって読んでいた本は「日本のステンドグラス その歴史と魅力」 ステンドグラスの知識を得ようと見つけたこの本には、川越市旧山崎家別邸のステンドグラスの作者についての記述がありました。
 昨秋の公開時に1度見学していますが、本を読んで旧山崎家別邸のステンドグラスを再度見てみたいと思っていたところ、川越祭りのブログ記事を書くために参照した川越市HPで別邸公開を知ったのです。初日17日は勤務が午後からだったので出勤前に訪れました。

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イメージ 2■この建物は、市内仲町の老舗「亀屋」の五代目の隠居所として大正14年(1925)に完成したものです。設計者は保岡勝也。ビル設計なども手がけましたが、本来は住宅設計を得意とした人です。幸町の埼玉りそな銀行川越支店(旧第八十五銀行)は保岡勝也設計によるもので、第八十五銀行の支店や系列の川越貯蓄銀行などの建物もこの人が手がけました(現存せず)。
 旧山崎家別邸は洋館と和風建築が巧みに融合した建築で、デザインや間取り、住宅を囲む庭園に控えめな落ち着きが漂っています。

☆日本のステンドグラス作家の草分け小川三知の作品

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■世界的には長い歴史を誇るステンドグラスですが、日本では近代になってから本格的に広まりまだ100年そこそこの歴史です。その嚆矢は宇野澤辰雄と小川三知(さんち)の二人。旧山崎家別邸のステンドグラスは小川三知の作品です。数年前まではティファニーだと伝えられていたそうですが、ステンドグラス史研究家田辺千代氏によって小川三知作品であることが確認されたのです。それは小川三知のデザイン集の中に同じものがあったことから判明したそうで、上の画像は「泰山木とブルージェ」という作品名です。
 このステンドグラスは玄関横から2階に通じる階段の踊り場にしつらえてありますが、室内撮影は禁止されているため外から撮影しました。そのため美しさは半減しています。室内から見たときは、陽光によって階段下の土蔵の黒い扉に転写されて息を呑むような美しさでした。そばに寄って見ることが出来ないのが残念!
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■1階玄関脇のステンドグラス。これは外から間近にじっくり見ることができます。
 見学時にもらえる案内リーフレットには、このステンドグラスについての記述もありますが、なぜか作者である小川三知には触れられていません。小川作品の主要なものには慶應義塾大学図書館・旧鳩山一郎邸・国立科学博物館・旧川上貞奴邸があります。
 なお、もうひとりの宇野澤辰雄の技法は、今日ある松本スティンドグラス製作所へ引継がれていますが、ここでは近年川越の旧山吉デパートのステンドグラスの修復が行われました。
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■懐かしい形の蛇口は西側の外壁に取り付けられています。じつは室内の壁に取り付けられている電気のスイッチが、たいへん味わいあるものなのですが、撮影禁止なのであきらめました。
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■1階洋館部分のテラス。
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■昨年の公開と違って、今回は2週間の長期公開です。昨年は混雑してゆっくり見ることが出来ませんでしたが、初日の今日は人も少なめでゆったり見学することができました。係員も多く配置されていて、ていねいに邸内各所を説明してくれます。
 どこか荒涼とした庭園が、もう少し整備されて落ち着いた雰囲気をかもし出すといいんじゃないかと思います。

 【参考資料】
 ●日本のステンドグラス その歴史と魅力 伝統技法研究会 2006年

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200年前に造られた蔵造り店舗内部を見る

■明治26年(1893)の川越大火は、新聞号外も発行されたほどの未曾有の惨事でした。一夜にして川越の目抜きの大半が焦土と化しましたが、呆然とする川越商人の目に留まったのが、焼け跡に残ったいくつかの土蔵造り。防火建築として最適であると認識した川越商人たちは、次々と土蔵造りの店舗を競って建てたのです。今日残る川越の蔵造りのほとんどが川越大火以後の建築によるものです。
 蔵造りの街並み誕生のきっかけとなった、焼け残った数軒の土蔵造りのひとつが「大沢家住宅」川越大火のほぼ100年前、現在からだと200年ほど前の寛文4年(1792)に呉服太物商西村半右衛門が建てたものです。
 100年の隔たりは外観も内部にも、明治の土蔵造りとは大きな違いがあります。

◆重要文化財大沢家住宅全景(川越市幸町)
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■内部(2階)は200円の料金で見学ができます。当主の方が丁寧に説明してくれました。
 『この建物の間口は六間です。六間もある蔵造りは、うちとお茶亀屋さんと服部さん(服部民俗資料館)くらいだと思います。平成元年から少しずつ改修保存工事を進めておるのです』

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■箱階段を上ったところの壁です。緩やかな起伏がわかると思いますが、これは耐震構造のひとつです。
『壁の厚さは30センチあります。ちなみに大黒柱は27センチなんです。柱はみな1階から2階までの通し柱でして、これも耐震を考慮したものです』
 壁の中は丸竹が縦横に組まれ、改修工事のおりにはこの竹をしっかりと結わえる材料がアケビの蔓であることが判明しました。ちなみに竹は霜が数度降りた頃に伐採したものを使用します。寒さで竹の中に潜んでいる虫が死ぬからだそうです。

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■5室からなる2階の、一番街に面した16畳の広間は商談などにも使われたとのこと。画像は広間の床の間です。中央の床柱が上下の部分のみであることがわかるでしょうか?これは天井が低く、窓も少ない構造から受ける圧迫感を少しでも和らげて、広く感じさせるために切り落としてあるのです。
 『床柱の材質は山椒の木でして、これで樹齢300年ほどです』
 画像には見えませんが、2階の中央には大黒柱があります。
『間口が広いため大黒柱は2本あるのです。普通は一本ですからうちの場合厳密には大黒柱とは言えないのでしょうけど』
 当主の方は先生のような口調で丁寧に話してくれます。

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■床の間の上部です。灰色の部分は漆喰ですが、中に竹などはまったく入っていません。要するに漆喰の塊なのです。
『これは相当の腕を持った職人が拵えたようです。改修工事に来た職人は京都で修業した方でしたが、この漆喰技術に驚いてここだけは手をつけませんでした。』
 落下率8割とのことですから、建築以来200年間落下せずにいることはまさにびっくりです。

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■川越の蔵造りで土格子は大沢家のみ。内側には障子戸・雨戸の他に防火用戸もあるのです。この下の部分は、階下の雨戸を仕舞うスペースになっています。シャッターのように上部に雨戸を収納する仕組み。防犯のために二重になっています。

イメージ 6■説明してくださった当主の方。
『ちゃんと説明しないと蔵造りのよさはわかってもらえません』
 平日でしたがちらほら見学の方が階段を上がってきました。私の次に説明をしたのは岐阜県からの見学者の方達でした。
 なお、2階には画家佐藤章の素描画が展示されています。川越をメインに全国各地の建物・風景の精密な素描の原画です。
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■大沢家を見ようという目的ではなく、通りかかったついでの見学だったため、ずぼらな私は予備知識もメモの用意もなく、貴重なお話をただ聴くに留まりました。30分に及ぶ説明はたいへんおもしろいものでした。

川越市蔵造り資料館

◆蔵造り資料館2階座敷の格子窓越しに見やった時の鐘。2階に上がろうとした時、丁度鐘が鳴りだし、受付の女性たちに「早く2階へ行って!鐘がよく見えるから!」と言われた。とても親切。
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◆蔵造り資料館全景。右の小さい蔵は袖蔵ではなく、貸し店舗等に利用したらしい添屋だという。
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■蔵造り資料館は煙草問屋「旧万文」を建物を利用したもの。昭和50年前後空家だったこの建物は、所有者が転々として取り壊しの危機に晒され、その行方がどうなるのか当時よく新聞報道されていた。紆余曲折を経て「蔵造り資料館」としてオープンしたのが昭和52年。地域活性化の魁ともなった建物である。
 川越の蔵造りは大半が明治26年の川越大火のあとに建築されたものである。焼失をまぬがれたいくつかの店蔵を見て、防火建築に相応しいと目抜きの商家が競うように造った。川越の中心部に現れた蔵造りの街並みは、まさに当時の川越の経済力を示すもの。明治期の東京も蔵造り建築が盛んだったが、関東大震災でその景観は姿を消し西洋建築の街への変貌を遂げる。そのため昭和初期には「蔵の並ぶ川越の繁華街はいささか古風」と言われてしまう。つい先日のニュースで「江戸時代の街並みが残る川越」と紹介されていたが、これは大間違い。「東京の文化を継承する街並みが残る川越」と言ったほうがいいのかもしれない。
 蔵造り資料館は店蔵・添屋・住居部分(一部)・一番蔵・二番蔵・三番蔵からなり、川越大火後直ちに着工された。壁が薄いことと意匠が控えめであることなどが、ずっと後に竣工する蔵造りと違う点である。どの建物も内部まで見学することができ、万文時代の商家資料や民具等が展示されいてる。
 当初入館料は200円だったが、現在は100円。休館日は月曜日(例外あり)・年末年始他。開館時間は午前9時〜午後5時。

◆店蔵背後の住居部分2階から見た中庭の様子。
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◆住居部分2階の座敷。とても明るい部屋。以前職場のバイトカップルを川越案内したとき、二人は「こんな部屋いいねー」と誰もいないことをいいことにしばらく寝転んでいたイメージ 5
◆店蔵背後から中庭を望む。庭園も整備されて落ち着いた雰囲気がある。
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◆店蔵脇の通路。煙草問屋だった頃は表通りから奥の蔵前までトロッコのレールがあった。
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『川越って、よく燃えたのね〜〜』

↑資料館の説明版を読んでいた女性の一言。江戸時代はもちろんのこと、明治になっても川越は大きな火事が多かった町。明治26年の川越大火以前にも高沢町や石原町・相生町などで焼失戸数の多い火災が発生している。

【参考資料】
 ●川越市蔵造り資料館リーフレット
 ●都市の明治−路上からの建築史− 初田亨 筑摩書房 1881年
 

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★川越はあきない

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■ルミネ川越店のPRポスター類は地元川越を題材にしていますが、最近まで登場していたのがここ。蔵造りの街から一歩裏手に入った路地にある建物です。明治26年(1893)の川越大火での焼失をまぬがれました。火元はこの近所でしたから、風の向き等があったとはいえ幸運でした。明治期は料亭で氷川神社山田衛居の「朝日之舎日記」にも登場します。週末は建物も公開されているようですが、普段は玄関前まで入れるようです。
 この建物を使用したルミネのPRのコピーは「川越はあきない」でした。やられたと思いましたね。このブログのタイトルに使いたかった・・
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◆猫がたくさんいます。門のとこへ来たら3匹が走ってやってきました。なにかくれるのかと思ったのかもしれません。

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