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連雀町立門前通り。突き当たりが連馨寺。画像ではわかりにくいが、左先には旧川越日活の建物があり、昔からの店が多い昭和の香りを残した商店街。
しょっちゅうここは通っているのだが、半年ほど前にふと気づいたのが、赤い矢印の建物。
逆から見るとこんな感じ。
車があるところにも以前は建物があったため、背後の建物に気づかなかったらしい。こうやってみると道路に面した部分の建物はあとから建て増しされたようにみえる。洋風建物はおそらく昭和初年建築と思われるが、完成当時は道路までの間はなにもない空間だったのだろうか・・?
調べてみると・・・
昭和3年以降に作られた青焼きの商業組合図。赤線で囲った部分が洋風建物。建物前に空間があるのがわかる。道路まで建物が建て増しされたのはどうやら戦後らしい。
洋風建物は麻雀荘・布団店・遊技場となっている。遊技場は当時流行りだしたパチンコ店だろうか。鶴川座左隣の遊技場は戦前の写真で確認すると「ゲームパチンコ遊戯場」の看板を掲げている。立門前通りには他に4店あり、鶴川座やすぐ近くに劇場舞鶴館もあって盛り場の要素を備えていたらしい。川越の浅草とも言われたそうである。
建物上部の意匠。
黄土色は戦前に流行ったと聞いたことがある。
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川越の洋館
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数年前までは田中屋美術館だった川越市指定文化財の田中家住宅。外見は洋館、内部は蔵造りという和洋折衷の珍しい建築である。大正4年の建築で、当時は桜井商店であった。
鉄砲・馬具・洋品などを扱っていたが、明治28年からは自転車の販売も始めた。当時の自転車修理には鍛冶職人の技術が必要とされ、桜井商店の屋号が「槌屋」であることからも、当然そのような技術を持っていたのだろう。英国ラーヂ社の自転車直輸入元日米商店(東京)の代理店となり、有名なラーヂ自転車を販売したことで知られている。
明治42年当時ラーヂ自転車の価格は150円。100名の購入希望者から六回にわけて代金を集金して銀行に預ける簡易購買組織をつくり、各回ごとに抽選を実施し、五回までに10名に自転車が引き渡された。最終回で残り90名に自転車が引き渡されたが、銀行に預けた代金が生んだ利息で福引景品を購入し、全員に銀時計・置時計・ランプ・反物などが当たった。
明治末年の広告に「桜井支店」の記載があるが、これは桜井商店で働いていた人に自立心の強い人がいて、市内松江町に独立開業したものだという。大正時代の新聞広告に記載されている八王子・秩父の支店もおそらくは暖簾わけだろう。
桜井商店に続く川越の自転車店開業は日露戦争後というから、桜井商店は川越における自転車店の嚆矢かもしれない。
●参考資料
川越市史第四巻近代編 川越市 昭和53年
川越案内 明治42年
英国皇室御料ラーヂ自転車申込書 武州川越町桜井自転車店 明治42年
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