|
■懐かしの時刻表
納戸の奥を引っ掻き回したら出てきた「1980年 東武時刻表」 表紙のくたびれ加減で相当年季が入っている代物である。
表紙写真は川越祭り。おそらく1979年の撮影だろう。山車は「元町1丁目」 場所は仲町交差点である。左の蔵造りが松崎スポーツ。背後に現在は撤去された電電公社(NTT)の鉄塔が見える。山車の右脇には「キャバレー鈴人草」のネオン看板も。山車にすっぽり隠れている山吉ビルは当時「月世界」「鈴人草」のふたつのキャバレーだった。この時刻表は第3号なのだが、それ以前の号は見たことがない。
通学に東上線を使っていたので買ったのだが、1987年の有楽町線乗り入れまではそれほど大きいダイヤ改正はなかったと思う。この年代の自分は学生。パラパラめくると覚えのあるダイヤがあった。
■川越駅 6:57発普通⇒7:48着池袋駅
高校通学に使っていた池袋まで各駅停車の電車。当時の朝ラッシュ時は準急と普通のみで、平行ダイヤだったため池袋までの所要時間はほぼ同じだった。森林公園駅始発の準急は川越駅到着時には満員の状態。57分発普通はお隣川越市駅始発だったので、着席は無理だったがドア脇位置が確保できた。上りは川越駅を出ると終点池袋まで左側ドアは開かなかったので、ずっともたれて楽ができた。まれに準急に乗ることもあったが、当時の朝ラッシュ時の上り準急は「ときわ台」に停車していて、「ときわだい!ときわだい!ときわだいでございますー」と早口のアナウンスが流れていた。
いまや鉄道の遅延・不通は頻繁だが、この頃はほとんど無かったと思う。遅延で学校に遅刻した記憶がない。唯一は池袋に着いたら山手線が不通で、友人らと地下鉄で迂回したがあまりの大混雑にくたびれて、1時間目のグラマー(とても嫌な先生だった)をサボったことだけである・・苦笑
■川越駅 9:36発急行⇒10:05着池袋駅
現在池袋駅東口に多店舗展開のビックカメラは、80年代前半は北口の小さい店舗のみ。友人がDPE受付バイトをしていたが、バイトが10時で終わるためこの電車で池袋へ出て友人と合流し、池袋でぶらぶら遊んだ。この頃の急行電車は川越駅を出ると志木・成増のみの停車。カステラ電車(車体がクリームで、屋根がこげ茶色のため)と呼ばれた板張り車両が活躍していたが、揺れが激しいのでスピード感がかなりあった。
ビックカメラで思い出すのはビデオテープ。大学入学時にベータ型ビデオデッキを購入したのだが、この頃の生テープは非常に高価だった。川越でいちばん安かったのはロヂャースだったが、やはりビックカメラのほうが安かった。とは言っても、BⅡ録画二時間半のテープが3150円・・・・ まさに隔世の感
■池袋駅発 23:30発普通⇒24:15着川越駅
埼玉は時給が安いため都内でバイトしていたが、バイト帰りはいつもこの電車。当時急行は池袋駅21時発、準急は23時発が最後だった。バイト疲れの体で川越まで各駅停車で帰るのはきつかった。今より本数も少なく、30分発森林公園行きは、川越市以遠の最終電車だったため混雑をきわめ、車内トラブルが多かった。隣の車両で泣き止まぬ赤ん坊に酔い客が怒り、騒動がおきたことがあった。「赤ん坊の泣き声は音楽なんだー!!」と酔い客に説教している声が聞こえてきたのを覚えている。
男二人が口喧嘩をはじめたが、そのうちに意気投合して途中下車して居酒屋へ行ってしまったこともあった。年末ともなると圧死しそうなくらい混んで、毎晩大幅に川越着が遅れた。
そして自分はこの電車内で、網棚に載せた小型カバンと盗られた。文庫本に夢中になっていたのである。翌朝早くに某駅から電話があり、財布の中身を抜き取られてトイレに捨てられてたカバンは戻ってきた。以来、網棚にカバンを載せることをほとんどしなくなってしまった。
思い出すとキリが無い。
さて、こちらは最新の時刻表。かつては東武全線掲載だったが、今は東上線のみ掲載の時刻表である。大きさもポケットサイズで携帯に便利。
今日5日から東上線はダイヤ改正。TJライナーの増発・急行準急の等間隔運転などが目玉である。川越駅ー池袋駅利用者しては、昼間の急行の池袋ー川越間の所要時間が30分になって以前の水準に戻ったのがちょっとうれしい。途中駅での停車時間がやたら長かったりして全然急行らしくなかった。もっとも上りの急行は相変わらずちんたら走っているが。
よく見ると、なんと通勤に利用している電車の時刻がずれている。これでは職場に間に合わない!! 来週からは少し早めに家を出ることに・・・トホホ
|
東上線沿線
-
詳細
コメント(14)
|
昨日26日の朝。東上線川越駅改札前には、秩父から観光案内が出張してきていました。準備中にもかかわらずパンフをほしがる人がたくさんました。メインは今が見頃の長瀞のロウバイと秩父大滝三十槌の氷柱。
準急電車で出勤。バタバタと仕事に追われて慌しい一日。
そして仕事のあとは、突然の飲み会。
アルバイト女性二人と同僚とともに居酒屋。竹篭の品は「トマトの天ぷら」ですが・・ほとんど感動なし。塩で食します。酒は「真澄」です。
女性のひとりは、中国大連の大学を去年卒業して帰国。仕事の休息時間はいつも南京にいる中国人の彼氏と電話やチャットでラブラブ。結婚は今のところ考えていないとのこと。
「私は中国へ帰ります」と来月再び大連へ。向こうで就職して生活するそうです。ガッシリ体型ややガニ股加減でガハハ笑いの明るい性格の彼女、元気でがんばってほしいです。
ということで、終電で帰宅しました。
東武東上線は3月5日にダイヤ改正です。TJライナー増発や昼間の急行12分毎・準急20分毎の等間隔運転など、わかりやすいダイヤになるのが目玉のようです。
詳細はこちらで
深夜の川越駅 西武鉄道もダイヤ改正です。
詳細はこちらで
|
|
★兎月まんじゅうと兎月園(とげつえん)
東上線成増駅近くの和菓子司「ふじむら」の看板商品『兎月まんじゅう』。うさぎを模った小ぶりなまんじゅうで、画像ではわかりずらいですが紅白あります。中には白餡と渋皮つきの栗が入って、ほどよい大きさと甘さがお茶によく合います。
「ひよこ」と同じで、どこから食べようかちょっと迷ってしまいそうですが・・・私は無意識にがぶりと食べていました。
「ふじむら」のある通りは『兎月園通り』の名称に
なっています。
兎月園とはなんぞやと言いますと・・・
兎月園は大正末期から昭和戦前にかけて、成増駅西方に存在した遊園地です。遊園地といっても現在の華やかなものとは違い、自然の地形を活かした大規模な庭園のようなもので、園内には和風本館や大浴場・運動場・滝・ボート池・花苑・動物檻などが配置されて、東京郊外(当時)ののんびりした景観の中で、一日をくつろいで過ごせるようになっていました。
昭和初年の東武電車発行観光パンフに掲載された東上線路線図。成増のところに兎月園があります。パンフには「ご家族連れ、小学生の遠足に最適」と案内されています。東上線は全線汽車運転、日光線が未成線になっていることから昭和4年以前のパンフであることがわかります。
駅の掲載は大胆に省略されていますが、「膝折(ひざおり)」は現在の朝霞駅のことです。
「ふじむら」のある兎月園通り。「兎月園」はこのすぐ近くにありました。昭和初年の東京の写真帖に近くの赤塚あたりの風景が掲載されていて、無人境のコメントがつけられていますが、当時はまったくの農村地帯でした。
■おまけ 成増駅南口界隈
成増駅前
成増駅南口
商店街
成増マーケット
細い路地には肉屋が一軒
成増駅コンコース
食料品・日用品だけ扱う小さな東武ストアが、なん
だか昔っぽい雰囲気。 |
|
今から50年前の昭和34年1月に池袋三越を会場に「川越文化展」がおよそ20日間開催されました。画像はその展示カタログです。20頁の小冊子ですが、主要展示物の写真と出品リストが解説付きで掲載されています。昭和30年の合併で10万都市となり、東京の衛星都市としての性格を帯び始めた川越市の市勢と観光を広く都民に公開する目的で、市内の寺社が所蔵する貴重な史料をはじめ、川越所縁の美術工芸品など163点が陳列されました。現在でもなかなか実物が拝めぬ仙波東照宮所蔵の「三十六歌仙絵額」は二枚だけですが本物が展示されました。この催事が盛況だったことから川越商工会議所は県内外での開催を市に要望し、また他市にあって川越にはなかった観光協会設置のきっかけになったそうです。 かつて「川越文化展」がひらかれた池袋三越は今年5月6日で50年に及ぶ営業を終了します。バブル崩壊後のめまぐるしい状況の変化は百貨店にとって厳しくなっています。札幌の老舗丸井今井が経営破綻したのは記憶に新しいですし、地元丸広百貨店も飯能駅前の飯能店を、数年前に閉鎖して空きビルになっている東飯能店跡へ移転すると発表して、地元商店街が動揺していると新聞に出ていました。 三越は先頃6店舗の閉鎖を発表しそのひとつが池袋店。池袋店は中高年をターゲットとした店舗へ改装したはずですがうまく行かなかったようです。三越が進出した昭和32年当時の池袋には東口に西武百貨店と、西口に東横百貨店(現在の東急百貨店。池袋店は閉鎖後に東武百貨店に譲渡された)があり、同年には京都の丸物百貨店も開業し(現パルコのビル)、地下鉄丸の内線の開通や私鉄沿線の人口増が池袋の繁華に拍車をかけていました。三越進出のうわさは何年も前からあり、川越商業界には池袋への顧客流失の懸念が強くありました。発展する池袋に対抗するために団結して商店街組合を作り、銀座通りにはアーケード、南町通りには春日灯篭を設置し、売り出しや福引券発行を共同で行うなどして魅力を高めたとのことです。 三越店頭のライオン像が見られるのもあとわずかとなりました。撤退後は家電量販店が入店するそうです。 ■参考資料
川越商工会議所75年誌 昭和53年 川越商工会議所 川越商工会議所五十年誌 昭和27年 川越商工会議所 |




